お盆に供えるナスとキュウリの意味は?盆踊りと精霊流しはなぜするの?

お盆の期間は仏壇の前にお供え物をしますが、さらにナスキュウリで作った動物を飾ったりします。どういう意味があるのでしょうか?

また、盆踊り、そして精霊流し灯籠流しは、なぜおこなわれるようになったのでしょうか?

スポンサーリンク

精霊棚に飾るナスとキュウリはどんな意味があるの?

仏壇の前に設けた精霊棚(しょうりょうだな、盆棚(ぼんだな)ともいいます)には、
仏壇から取りだした位牌を置き、野菜や果物など季節のものや、ぼた餅など、いろいろなものをお供えします。

さらに、1日3回、朝昼晩に、ご飯と水もお供えします。

そして、ナスで作った牛キュウリで作った馬を飾ったりします。

ナスとキュウリに、麻殻(あさがら、皮をはいだ麻の茎)または折った割りばし、
つまようじ、マッチ棒などを差し込んで、4本の脚に見立てて立たせ、飾ります。

これは祖先の霊が、

「この世」に戻って来るときは「」に乗って来て、
「あの世」に帰っていくときは「」に乗って帰って行く、

と考えられていたからです。

この世に戻って来るときに「」に乗るのは、脚の速い馬に乗って、早くこの世に戻って来てほしい、という願いから、

帰って行くときに「」に乗るのは、供え物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうのと、名残惜しいので脚の遅い牛に乗って、できるだけゆっくりあの世に帰ってほしい、という願いを込めたからといわれています。

なお、ナスの牛とキュウリの馬は、どちらも精霊馬(しょうりょううま)と呼ばれ、
祖先の霊が、あの世とこの世を行き来するときに乗る乗り物とされています。

盆踊り

お盆の期間の最終日である16日の晩には、お寺の境内に人々が集まり、死者の供養のために踊りました。これが本来の盆踊りです。

盆踊りの由来については、
地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したものだ、という説や、

空也(くうや、平安時代中期の僧)によって始められた踊念仏が、念仏踊りとなり、お盆の行事と結びついて盆踊りとなった、という説などがあります。

しかし、現在では、宗教的な意味合いが失われ、お盆の期間を通して
駅前の広場や学校の校庭などで、夕方から夜にかけて盆踊りがおこなわれることが多くなってきています。

広場や校庭の中央に組み上げた櫓(やぐら)を中心に、老若男女が幾重にも輪を作り、少しずつ回りながら踊り続ける。

通りには、金魚すくいや綿あめ、お面や花火を売る露天のお店が立ち並び、
笛や太鼓に合わせて盆踊りを踊り、語り明かし、飲み明かす、

久しぶりに帰郷した幼なじみや友人たちと、親交を温める機会となっているようです。

スポンサーリンク

精霊流し、灯籠流し

16日の夜には、祖先の霊が帰る道を明るく照らすために「送り火」を燃やしますが、このとき、精霊棚に供えた野菜や果物などを、川や海に流します。
あるいは、提灯を乗せた小さな舟を流します。
これを「精霊流し(しょうりょうながし)」といいます。

また、灯籠(とうろう、灯りの火が消えないように木枠を和紙で囲ったもの)にロウソクの火を灯して、川や海に流す「灯籠流し(とうろうながし)」をおこなう地域もあります。

祖先の霊が、その灯籠に乗って川を下り、海に出てさらに「あの世」へと帰っていくと考えたためです。

最後に

さだまさしさんがグレープというフォークデュオで活躍していた頃のヒット曲に、
精霊流し』という歌があります。

1番の歌詞の展開部分に
「そしてあなたの舟のあとをついてゆきましょう」、とあり、
2番の歌詞の展開部分は、
「そして黙って舟のあとをついてゆきましょう」と、なっています。

海の事故で亡くなった、幼い頃から仲のよかった従兄弟の思い出が元になってつくられた、といわれているこの曲の歌詞は、
亡くなった従兄弟の恋人だった女性の立場に立って書かれています。

さだまさしさんの故郷の長崎の精霊流しは、提灯や造花で飾られた「精霊船」と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、街の中の道路を運んでいくのですが、

歌の方の歌詞は、
「約束通りにあなたの愛したレコードも一緒に流しましょう」、とあるので、
この歌で設定されている場所は、精霊船が街の中を運ばれる長崎ではなく、
小さな舟が川や海に流される「精霊流し」がおこなわれている、日本のどこか、
ということなのでしょう。

亡くなった人を想い、いつまでも忘れないで生きていきます、という、
静かな、しかし熱く固い決意が感じられる歌詞だと思います。

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ