施餓鬼とお盆との関係とは?仏教の経典に基づく由来の共通点とお盆の時期に施餓鬼の法要が行われるようになった理由
施餓鬼(せがき)または施食会(せじきえ)と呼ばれる法会は、
仏教において、餓鬼道の世界に落ちて飢えと渇きに苦しんでいる死者の魂を供養するために食事を供えて弔う儀式のことを意味して、
こうした施餓鬼と呼ばれる法会は、もともとは、功徳を積むための仏教の修法の一つとして、特に時節を選ばずに行われていたと考えられることになるのですが、
その一方で、現代においては、
こうした施餓鬼の法会は、実際の暦の日付では、お盆の時期にあたる7月15日または8月15日を中心とする期間に営まれることが多いと考えられることになります。
それでは、
こうした施餓鬼とお盆という二つの行事の間には、具体的にどのような関係があると考えられることになるのでしょうか?
施餓鬼とお盆という二つの行事における仏教の経典に基づく由来
そうすると、まず、
前者の施餓鬼と呼ばれる法要の由来については、
『救抜焔口陀羅尼経』(ぐばつえんくだらにきょう)と呼ばれる仏教の経典において語られている餓鬼道へと落とされた衆生たちを救うための無量の施しの教えのなかにその大本の由来を求めていくことができると考えられ、
『救抜焔口陀羅尼経』においては、釈迦に仕えた十大弟子のうちの一人で、多聞第一と称されていた高僧であった阿難と焔口という名の餓鬼の話を通じて、
口にした食べ物も水もすぐに炎を上げて燃え尽きてしまうことによって永遠に満たされることがない飢えと渇きに苛まれ続けている餓鬼たちを救うためには、
ただ一器の食物を供えたうえで、彼らのために経文を一心に唱えて仏の加護を受けることによって、そのわずかの食べ物が尽きることにない無量の施しへと変わっていくことになるという仏の教えが語られていくことになります。
そして、それに対して、
後者のお盆における祖先の霊や死者の魂の供養のための行事の由来については、
『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)と呼ばれる仏教の経典において語られている餓鬼道へと落とされた亡き母の魂の救済の物語のうちにその大本の由来を求めていくことができると考えられ、
こうした『盂蘭盆経』と呼ばれる経典においては、前述した『救抜焔口陀羅尼経』における説話と同様に、餓鬼道へと落された死者たちの魂を業苦から救い出すための施しと供養のあり方が語られていると考えられることになるのです。
お盆の時期に施餓鬼の法要が行われていくようになった理由
以上のように、
施餓鬼の法要の由来となったと考えられる『救抜焔口陀羅尼経』と、お盆における祖先の霊や死者の魂の供養のための行事の由来となったと考えられる『盂蘭盆経』と呼ばれる二つの仏教の経典においては、
どちらの経典においても、餓鬼道と呼ばれる飢えと渇きに苦しむという業苦に苛まれる世界へと落とされた死者たちの魂を、現世に生きる人々の手による施しと供養によって救済するための教えが語られているという共通点を見いだしていくことができると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
こうした施餓鬼とお盆と呼ばれる仏教に関わる二つの行事のあり方の関係性については、
『救抜焔口陀羅尼経』などの仏教の経典において記されていた施餓鬼の法要へとつながる仏教における施しの儀式のあり方が、
『盂蘭盆経』において記されている餓鬼道へと落とされた亡き母の魂の救済の物語とも互いに深く結びつけられていくことによって、
そうした祖先の霊や死者の魂の供養のために墓参りや盆踊り、迎え火と送り火といった数々の行事が行われることになるお盆の時期に、
ちょうどそうしたお盆の行事と同じ意味合いをもった儀式にあたる施餓鬼の法要も合わせて行われていくようになっていったと考えられることになる。
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