カントの『実践理性批判』における仮言命法と定言命法の定義と唯一の普遍的な道徳法則としての定言命法の位置づけ

そして、上記の定言的命法についてのカント自身の言葉のうちでも語られているよう前々回前回の記事で書いたように、カントの倫理学においては、道徳的な規則の表現のあり方として、仮言命法定言命法と呼ばれる二つの命令形式のあり方が提示されていくことになるのですが、

こうしたカントの倫理学における二つの命令形式の概念の厳密な定義のあり方について、もう少し掘り下げて考察していくと、

例えば、

カントの主著のうちの一つとして位置づけられている『実践理性批判』においては、具体的には、以下のような形で仮言命法定言命法と呼ばれる二つの命令形式のあり方についての記述がなされていくことになります。

スポンサーリンク

カントの『実践理性批判』における「命法」という概念自体の定義

カントの『実践理性批判』において、最初に、仮言命法定言命法と呼ばれる二つの命法についての記述がでてくるのは、

この書物の序論の次に位置づけられている第一部「純粋実践理性の原理論」第一編「純粋理性の分析論」第一章「純粋実践理性の原則について」と題される章の冒頭部分にあたる箇所であり、

そこでは、

仮言命法と定言命法という二つの命法についての具体的な定義のあり方が示されていく前に、まずは、以下のような形で「命法」という概念自体についての定義のあり方が示されていくことになります。

・・・

実践的規則は、理性が意志の唯一の規定根拠でないような存在者(例えば、人間)にあたる場合は命法となる

つまり、命法は、行為への客観的強制を表現するところの「~すべし」によって示されるような実践的規則なのである

(カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、49ページ参照)

・・・

このように、

上述したカントの『実践理性批判』の記述においては、

「命法」とは、人間が自分の意志を決定するときに、そうした意志に基づく行為のあり方を客観的に正しい行為のあり方へと強制的に導いていく実践的な規則のことを意味する概念として定義されていると考えられることになります。

そして、こうしたカントの倫理学の議論においては、

「実践的」という概念は、より一般的な表現でいうと「道徳的」といった概念とほぼ同義語的な概念として用いられていくことになるのですが、

そういった意味では、

こうした「命法」と呼ばれる概念は、人間の意志に基づく行為のあり方を客観的に正しい行為のあり方へと導いていく普遍的な道徳法則のことを意味する概念として定義することができると考えられることになるのです。

スポンサーリンク

カントの『実践理性批判』における仮言命法と定言命法の定義と唯一の普遍的な道徳法則の形式としての定言命法の位置づけ

そして、

前述した「命法」についての具体的な定義が示されている部分の次の箇所では、その後に続いて、

以下のような形で仮言命法定言命法と呼ばれる二つの命法についての定義が示されていくことになります。

・・・

第一の場合の命法は、仮言的命法であって、それは経験に基づく練達の域を出るものとはなり得ないであろう。

これに反して、

第二の場合の命法は、定言的命法であり、これだけが実践的法則と呼ばれてよいものとなるのである。…

それゆえ、同じ命法であるといっても、それが条件付きのものであるならば、言い換えれば、それが人間の意志そのものを無条件に規定するものではなくそれぞれの個人が求める結果を目当てにして規定されるような命法、つまり、仮言的命法であるとするならば、…それは実践的法則とはなり得ないのである。

(カント『実践理性批判』波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、49ページ参照)

・・・

このように、

上記の『実践理性批判』の記述においては、

前述した「命法」と呼ばれる人間の意志に基づく行為を規定する道徳規則のあり方は、

第一の命法としての仮言的命法と、第二の命法としての定言的命法と呼ばれる二つの命法の形式のあり方へと区分されていったうえで、

前者の仮言的命法、すなわち、仮言命法は、

その規則を遵守することによって得られる利益などの結果を目当てとした条件付きの命法であるのに対して、

後者の定言的命法、すなわち、定言命法は、

そうした仮言命法におけるような特定の条件による制約を受けずに人間の意志に基づく行為のあり方を無条件に規定する命法のあり方として定義されていると考えられることになります。

そして、上記の定言的命法についてのカント自身の言葉のうちでも語られているように、

カントの倫理学においては、

こうした仮言命法定言命法と呼ばれる二つの道徳的な命令形式のうち、

後者の定言命法における人間の意志に対する無条件な規定のあり方のみが、それ自体がそれ自身のみによって無条件で善となる普遍的な道徳法則として位置づけられていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:カントの『実践理性批判』における仮言命法の具体例の記述と道徳法則とならない不完全な倫理規則としての仮言命法の位置づけ

前回記事:定言命法とは何か?ドイツ語における具体的な定義とカントの『実践理性批判』における具体例

カントのカテゴリーへ

倫理学のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ