理性とは何か?⑥カントの認識論哲学における人間の意識における最上位の認識能力としての理性の存在の位置づけ

前回の記事で書いたように、アリストテレスの哲学体系の内においては、人間の心における理性の働きのあり方は、

人間の認識における理性の働きのあり方は、三段論法と呼ばれる推論形式に代表されるような前提からの必然的な論理展開によって結論を導き出す演繹的推論を中心とする論理的な思考の働きのあり方として位置づけられていくことになり、

こうしたアリストテレス哲学に基づく理性の概念の捉え方は、

その後の中世ヨーロッパスコラ哲学における認識論などの議論においても、基本的には、そのままの形で踏襲されていったと考えられることになります。

そして、

こうした哲学史における理性の概念の捉え方に、新たに大きな変化がもたらされることになるのは、

紀元前4世紀のギリシアの哲学者であったアリストテレスの時代から2000年以上もの時を経たのちの18世紀のドイツの哲学者であるカントの認識論哲学においてのことであると考えられることになります。

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カントの認識論哲学における人間の意識における最上位の認識能力としての理性の存在の位置づけ

まず、

カントの認識論哲学においては、

前回の記事で取り上げたアリストテレス哲学におけるヌース(nousの概念、

すなわち、「知性」における認識の働きの内に含まれていた対象そのものの本質を直観的に把握していく知的直観直知的認識と呼ばれる認識のあり方は、

人間の意識における認識作用の内では実現することがあり得ない非現実的で空虚な認識のあり方として全面的に否定されて上で、

そうした知的直観としての認識の働きを含めない「知性」のあり方は、

ドイツ語におけるVerstand(フェアシュタント)、日本語においては「悟性」として訳されることが多いカント哲学における専門用語的な概念として新たに捉え直されていくことになります。

そして、そのうえで、

詳しくは、「感性と悟性と理性の違い」の記事で書いたように、

カントの主著である『純粋理性批判』においては、

人間の意識における客観的な認識のあり方は、

感性における直観を通じて与えられた認識の素材となる多様な表象のあり方が、悟性において様々な概念のあり方へと総合されていったうえで、

さらに、そうした感性と悟性において捉えられた多様な表象のあり方が理性における論理的な推論能力の力に基づいて一つの認識のあり方へと統一されていくという

感性における直観と、悟性における総合、そして、理性における統一という三つの心の働きのあり方における三段階の認識作用によって形成されていくことになると説明されていくことになります。

つまり、そういった意味では、

こうした『純粋理性批判』において進められていくことになるカント哲学における認識論の議論においては、

人間の意識における理性と呼ばれる認識作用の働きのあり方は、

アリストテレス哲学の「論理学」における議論と同様に、演繹的推論を中心とする論理的な思考の働きのあり方のことを意味する概念として捉えられていると考えられることになるのですが、

その一方で、カントの認識論哲学においては、

そうしたアリストテレスの哲学体系の内において認められていた知的直観といった知性における高次の認識能力のあり方が否定され、

そうした「知性」と呼ばれる心の働きのあり方が、概念によって表象をまとめ上げていくという役割だけを担う「悟性」と呼ばれる心の働きのあり方として捉え直されていくことによって、

それとは反対に、

悟性において把握された多様な概念のあり方を論理的な推論能力によって一つの認識のあり方へと統一していく「理性」と呼ばれる心の働きのあり方が、

人間の意識における最上位の認識作用を司る心の働きのあり方として捉え直されていると考えられることになるのです。

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実践哲学および倫理学における行動や道徳に関わる理性の実践的な側面

また、

前述した『純粋理性批判』の続編にあたる著作である『実践理性批判』において示されているようなカントの実践哲学すなわち倫理学における議論においては、

こうした理性と呼ばれる人間の心における知的な働きのあり方には、

認識や理論に関わる理論理性としての側面のほかに、人間自身の行動や道徳のあり方に関わる実践理性としての側面も存在するという新たな考え方が示されていくことになるのです。

・・・

以上のように、

カントの認識論哲学においては、

理性と呼ばれる人間の意識における認識作用の働きのあり方は

演繹的推論を中心とする論理的な思考の働きに基づいて人間の意識の内にある様々な表象のあり方を一つの認識のあり方へと統一していく認識能力として捉えられていると考えられることになります。

そして、

こうしたカントの認識論哲学と倫理学における一連の議論においては、こうした人間の意識における知的な心の働きのあり方としての理性の存在は、

「知性」あるいは「悟性」と呼ばれるような人間の意識におけるその他の認識能力のあり方よりもさらに上位に位置づけられることになる人間の意識における最上位の認識能力のあり方として位置づけ直されていくと同時に、

こうした理性と呼ばれる概念の内には、

認識や理論といった理論理性としての側面だけではなく、人間自身の行動や道徳のあり方に関わる実践理性としての側面も存在するということが明らかにされていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:理性とは何か?⑦古代ギリシア哲学からカントの認識論哲学へと至る哲学史における理性の概念の定義の変遷のあり方のまとめ

前回記事:理性とは何か?⑤アリストテレスの「論理学」における三段論法に代表される演繹的推論を中心とする論理的な思考のあり方としての理性の定義

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