感性と悟性と理性の違いとは?カントの認識論哲学における「直観」と「総合」と「統一」という三段階の認識作用

近代哲学の祖としても位置づけられる18世紀のドイツの哲学者カントの主著である『純粋理性批判』においては、

人間の心における事物や現象の理論的な認識のあり方についての哲学的な探求が進められていくことによって、新たな認識論哲学の体系が築かれていくことになるのですが、

こうしたカントの認識論哲学の議論においては、

人間の心における認識の働きのあり方は、感性悟性理性と呼ばれる三つの心の働きのあり方に区分されていく形で捉えられていくことになります。

空間と時間のア・プリオリな直観形式としての感性の位置づけ

まず、

こうした感性悟性理性という三つの心の働きのうち、はじめに挙げた感性Sinnlichkeit、ズィンリヒカイト)とは、

この言葉のドイツ語におけるもともとの意味においては、人間の心における感覚や感情の働きのことを意味する言葉であると考えられることになるのですが、

カントの認識論哲学においては、

こうした感性と呼ばれる心の働きのあり方は、現実の世界の内において継起している様々な現象のあり方を、空間と時間というア・プリオリな直観形式に基づいて捉えていく心の働きのあり方として定義し直されていくことになります。

カント哲学において、ア・プリオリ(a prioriという言葉は、先験的な形式、すなわち、経験に対して時間的にではなく論理的に先立って存在する認識形式のことを意味する概念として捉えられていくことになるのですが、

そういった意味では、

こうしたカントの認識論哲学において提示されている感性と呼ばれる心の働きのあり方は、

人間の心の内にあらゆる経験に先立って予め備わっている空間と時間という認識形式に基づく直観を通じて、現実の世界のうちで生じている多様な現象のあり方を捉えていく心の働きのあり方として位置づけられていると考えられることになるのです。

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悟性におけるカテゴリーの形式に基づく表象の総合

そして、それに対して、

次に挙げた悟性Verstand、フェアシュタント)と呼ばれる心の働きのあり方においては、

感性において空間と時間という二つの直観形式によって捉えられた認識の素材としての表象のあり方が、

今度は、

純粋悟性概念あるいはカテゴリー(Kategorieと呼ばれる判断形式に基づいて、様々な事物の形式のあり方へとまとめられていく形で総合的に捉え直されていくことになります。

悟性における総合的な判断の形成においては、具体的には、そして関係様相という四つの観点から判断形式としてのカテゴリーの適用が行われていくことになるのですが、

このように、

カントの認識論哲学における悟性と呼ばれる心の働きにおいては、

感性の段階において与えられた認識のもととなる多様な素材が、人間の心の内にあらゆる経験に先立って予め備わっている量・質・関係・様相といった様々な種類のカテゴリーの形式に基づいて総合的にまとめられていくことになると考えられることになるのです。

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理性における論理的な推論能力に基づく客観的な認識の統一

そして、

最後に挙げた理性Vernunft、フェアヌンフト)と呼ばれる心の働きのあり方においては、

感性と悟性の段階において、すでに、空間と時間という直観形式さらには量・質・関係・様相といった様々な種類のカテゴリー形式において捉えられてきた認識の対象となる現象のあり方が、

論理的な推論能力を担う最上位の心の働きである理性の働きを通じて、客観的な認識として一つに統一されていくことになると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

カントの認識論哲学における感性悟性理性と呼ばれる三つの心の働きのあり方の具体的な意味の違いとしては、

感性は、現実の世界のうちで生じている多様な現象のあり方を空間と時間という認識形式に基づく直観を通じて捉えていくことによって認識の素材を提供する心の働きのあり方として位置づけられているのに対して、

悟性は、そうした感性において与えられた素材を量・質・関係・様相といった様々な種類のカテゴリーの形式に基づいて総合的にまとめていく心の働きのあり方として位置づけられることになり、

理性は、さらに、そうした感性と悟性において捉えられた多様な表象のあり方を自らの論理的な推論能力を通じて一つの客観的な認識のあり方へと統一していく心の働きのあり方として位置づけられることになるといった点が挙げられることになります。

そして、

こうしたカントの認識論哲学における一連の議論においては、

一言でいうと、

感性における直観と、悟性における総合、そして、理性における統一という三つの心の働きのあり方における三段階の認識作用によって、

現実の世界のうちにおいて生じている様々な現象が客観的認識として成立していくことになるという考え方が示されていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:悟性と知性の違いとは?ギリシア語とラテン語における語源とカントの認識論哲学と古代ギリシア哲学における位置づけの違い

前回記事:純粋理性と理論理性と思弁理性の関係とは?カント哲学において互いに不可分な関係にある三つの理性の働き

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