三重の愛としての神の存在とアウグスティヌスの哲学における父と子と聖霊という三位一体の神、愛と神とを結ぶ哲学的な議論②
前回の記事で書いたように、
紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの『形而上学』における不動の動者としての神の存在のあり方のうちには、
「愛されるという仕方によって動かす」という「愛されるもの」としての神の姿を見いだしていくことができると考えられることになるのですが、
こうした愛という概念に基づく神の存在の捉え方については、
紀元後4世紀の古代ローマの哲学者にしてキリスト教におけるラテン教父の代表的な人物として位置づけられるアウグスティヌスの哲学において、より詳細な議論が展開されていくことになります。
三位一体の神の内部構造における三つの愛の存在のあり方
まず、
アウグスティヌスの主著の一つである『三位一体論』においては、
一なる神の存在の内にある三つの属性として捉えられた父なる神と子なる神と聖霊という三者の関係のあり方が、
人間の心の愛の働きにおける、「愛されるもの」と「愛するもの」そして「両者を結ぶ愛」それ自体という三つの愛のあり方との類比関係において捉えられていくことになります。
つまり、
こうしたアウグスティヌスの哲学においては、
一義的には、
「愛されるもの」が「父なる神である主」、「愛するもの」が「子なる神であるイエス・キリスト」、そして、「両者を結ぶ愛」のあり方が「聖霊」の存在において取り持たれるという
三つの愛の関係のあり方において、三位一体の神の存在が捉えられていると考えられることになるのです。
父なる神と子なる神の両方から発出される愛の力としての聖霊の働き
しかし、その一方で、
キリスト教の聖典である聖書のうちにおいても、子なる神であるイエスから父なる神である主への言葉として、
「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」
(新約聖書「ヨハネによる福音書」17章21節)
と書かれているように、
父なる神としての主と子なる神としてのイエス・キリストとは、単に、より偉大な存在である父のことを子が憧れを抱いて愛するという一方的な関係において結ばれているわけではなく、
「あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいる」と書かれているように、
両者の間には、むしろ、父なる神と子なる神のどちらの存在にとっても一方の存在なしには他方の存在も成立しないという本質的には同等の関係が成立しているとも捉えることができると考えられることになります。
つまり、そういった意味においては、
三者の間には、父なる神と子なる神の両者は互いに対等な関係にある愛の働きによって結ばれていて、
さらに、そうした父なる神と子なる神の両者からの発出された愛の力のあり方が聖霊と呼ばれる存在として捉えられていくことによって、
父と子と聖霊という三者の存在が互いに不可分な存在として結びつけられていくことになると考えられることになるのです。
神と人間との関係において成立する双方向的な愛のあり方
そして、さらに、
こうした父と子と聖霊という三位一体の神の内部構造の内に存在する愛の働きのあり方は、
神の似姿として創造された被造物である人間と神との関係においても、さらに広がっていく形で適用されていくことになると考えられ、
そうした神と人間との関係においては、
父なる神である主と子なる神であるイエス・キリストは共に人間のことを限りなく愛することによって、その深い愛の力を聖霊を通じて世の内に示していると考えられ、
それに対して、人間たちもまた主なる神とイエス・キリストを深く愛することによって深い信仰心を抱くという双方向的な愛の関係が成立していると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
アウグスティヌスの哲学においては、愛という概念に基づいて捉えられていく神の存在のあり方は、
「愛されるもの」としての「父なる神」と「愛するもの」としての「子なる神」そして「両者を結ぶ愛」としての「聖霊」という三位一体の神の内部構造における三つの愛の存在のあり方、
互いに同等な関係として捉えられた父なる神としての主と子なる神としてのイエス・キリストの両方から発出される愛の力としての聖霊の存在、
そして、
神と人間との関係において成立する父なる神である主と子なる神であるイエス・キリストが共に示している人間への限りなく深い愛と、人間が神に対して抱く深い信仰心を通じた神への愛の内に見いだされる双方向的な愛のあり方という
三重の愛の関係において捉られていくことになると考えられることになるのです。
・・・
次回記事:聖霊とは何か?新約聖書において聖霊の具体的な存在のあり方を示す三つの記述
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