聖霊とは何か?新約聖書において聖霊の具体的な存在のあり方を示す三つの記述
聖霊とは、キリスト教において父なる神である創造主と子なる神であるイエス・キリストと共に三位一体の神における一つの存在様式のあり方として位置づけられる神の霊の存在のあり方のことを意味する言葉であり、
日本語における精霊という言葉は、英語ではHoly Spirit(ホーリー・スピリット)、ラテン語ではSpiritus Sanctus(スピリトゥス・サンクトゥス)として記述されることになるのですが、
こうした聖霊と呼ばれる神の霊の存在は、キリスト教の聖典である新約聖書においては、具体的にどのような存在として位置づけられていると考えられることになるのでしょうか?
聖母マリアにイエスを身ごもらせたと神と人とをつなぐ聖霊の存在
まず、
新約聖書のはじめの書として位置づけられている「マタイによる福音書」の冒頭部分においては、以下のような形で聖霊についての言及がなされていくことになります。
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イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
(新約聖書「マタイによる福音書」1章18~20節)
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つまり、新約聖書のこの部分の記述においては、
神によって地上へと遣わされ、聖母マリアを通じて子なる神であるイエス・キリストを身ごもらせる働きを担った神と人間とをつなぐ存在として、
聖霊と呼ばれる神の霊の存在が示されていると考えられることになるのです。
父と子と聖霊という三位一体の神の内における並列的な関係としての聖霊の位置づけ
そして、
「マタイによる福音書」の最終章にあたる28章の最後の部分においては、以下のような形で、父なる神と子なる神と聖霊としての三位一体の神の存在のあり方が並列的な関係で語られている箇所も挙げられることになります。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
(新約聖書「マタイによる福音書」28章19~20節)
また、そのほかにも、
例えば、「コリントの信徒への手紙二」において語られている
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」
(新約聖書「コリントの信徒への手紙二」13章13節)
という祈りの言葉のうちにも、そうした父なる神と子なる神であるイエス・キリストそして聖霊という三位一体の神の存在についての言及がなされていると考えられることになるのです。
人間の心や体の内に宿る神聖なる存在としての聖霊の存在のあり方
また、
新約聖書のなかには、前述したような位置づけのあり方とは、少し異なる観点から、こうした聖霊と呼ばれる存在についての言及がなされている箇所もあり、
例えば、「コリントの信徒への手紙一」においては、
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」
(新約聖書「コリントの信徒への手紙一」6章19節)
と書かれていて、
聖書のこの部分の記述においては、
聖霊と呼ばれる存在は、人間の体の内に直接宿る神から授けられた神聖な霊体のような存在として捉えられたうえで、
そこでは、そうした聖霊が宿る人間の身体の存在自体をまるで神殿のような神聖な存在として捉えていくという考え方が示されていると考えられることになります。
こうした聖霊としての神の霊の存在が、イエス・キリストや聖母マリアといった特別な存在においてだけではなく、この世界の内にあるすべての人間の存在の内に宿っているという考え方は、新約聖書のうちのほかの部分における記述の内にも見いだしていくことができると考えられ、
例えば、「テサロニケの信徒への手紙一」における
「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。」
(新約聖書「テサロニケの信徒への手紙一」4章7~8節)
という記述や、
「テモテへの手紙二」における
「あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。」
(新約聖書「テモテへの手紙二」1章14節)
といった記述の内にも、
そうした人間の心や体の内に宿る神聖なる存在としての聖霊の存在のあり方が示されていると考えられることになるのです。
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以上のように、
こうした新約聖書における様々な記述のあり方からは、聖霊すなわちラテン語においてSpiritus Sanctus(スピリトゥス・サンクトゥス)と呼ばれる聖なる存在のあり方は、
父と子と聖霊という三位一体の神の一つの存在様式のあり方として位置づけられると同時に、それは、聖母マリアにイエスを身ごもらせたと神と人とをつなぐ愛の現れでもあり、
さらには、人間の心や体の内に宿る神聖なる霊の存在のあり方も、こうした聖霊と呼ばれる神の霊の存在のあり方として捉えられていくことになると考えられることになるのです。
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