「愛されるもの」としての神の存在の定義とアリストテレス哲学の不動の動者としての神の存在、愛と神とを結ぶ哲学的な議論①

前回の記事で書いたように、古代ローマ帝国末期の時代にキリスト教の正統教義の確立に貢献したらラテン教父の代表として位置づけられるアウグスティヌスの『三位一体論』の議論のなかでは、

三位一体としての神の存在のあり方が人間の心における愛の働きとの類比関係において捉えられていくことになるのですが、

このように、神の存在のあり方を愛の働きのうちに見いだした哲学者や神学者は、必ずしもアウグスティヌスがはじめてだったというわけでもなく、

その源流となる考え方は、古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスの『形而上学』における不動の動者としての神の存在のあり方のうちにも、

こうした愛の働きとしての神の存在の捉え方へとつながるような哲学的な議論を見いだしていくことができると考えられることになります。

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「愛されるという仕方によって動かす」不動の動者としての神の定義

アリストテレスの『形而上学』の議論においては、

自分自身は動かずにいながら、他のあらゆるものを動かす究極の原因となる不動の動者と呼ばれる宇宙自体の存在の究極の原因となる存在についての言及がなされていて、

こうしたアリストテレス哲学において宇宙に最初の運動をもたらしたとされる不動の動者の存在は、この世界の創造主としての神としても位置づけられる存在として捉えることができると考えられることになるのですが、

『形而上学』のなかでは、さらに、

こうした不動の動者としての神は、ほかのあらゆるものを「愛されるという仕方によって動かす」という言葉によっても語られていくことになります。

つまり、

こうしたアリストテレスの『形而上学』における一連の議論においては、

かつて、

古代ギリシア神話の物語の中で、ギリシア一の絶世の美女であったヘレネが、その美しさゆえにトロイアの王子パリスの心を動かし

結果として、ギリシアとトロイアの間の十年にもわたる大戦争であるトロイア戦争を引き起こす原因となっていったのと同じように、

不動の動者としての神の存在は、

美しい人がその人物に恋する人を引きつけて、自らは動かずにその美の威光を世に知らしめることによって多くの人々の心を動かしていくのと同様の仕方によって、

あらゆるものを動かす究極の原因となっているということが語られていると考えられることになるのです。

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「精神」と「知性」と「愛」という三つの観点から捉えられる「愛されるもの」としての神

しかし、

このように、アリストテレスの『形而上学』において不動の動者としての神の存在が「愛されるという仕方によって動かす」という言葉によっても語られているからといって、

もちろん、それは文字通り、

ギリシア神話における美女ヘレネが王子パリスの心を丸ごと奪ってしまうような優れた美貌をもっていたように、

不動の動者としての神の存在もまた、美しい姿かたちをしていて、その自らの美しさによって、この世界の内にあるあらゆる存在者たちを引きつけているということを意味しているというわけではなく、

アリストテレス哲学におけるこうした「愛されるという仕方によって動かすもの」、すなわち、「愛されるもの」としての不動の動者の存在は、

むしろ、あらゆる意味において質料的原理に基づく物質的存在として捉えられることのない純粋なる形相としての存在、すなわち、純粋なる精神的な存在として捉えられていくことなります。

また、

こうした純粋形相としての不動の動者の存在は、さらに、そののちの議論においては、能動知性と呼ばれる知性的な原理としても捉えられていくことになるのですが、

そういった意味では、

こうしたアリストテレス哲学の『形而上学』における不動の動者としての神の存在は、

自らはいかなる意味においても物理的な姿かたちをもたない純粋なる精神的な存在でありながら、知性をもった存在者として知性的な愛の力によって世界の内にあるあらゆる存在者を動かす第一原因として位置づけられていると捉えることができると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

アリストテレス哲学の『形而上学』において「愛されるという仕方によって動かすもの」として語られている不動の動者の存在においては、

いかなる意味においても物質的存在として捉えられることがない「精神」、そうした物質的存在を必要とせずに世界に対して直接働きかける力をもった「知性」、そして、宇宙の内に運動をもたらす現実的な力としての「愛」という三つの観点から

「愛されるもの」としての神の存在の具体的な存在のあり方が明らかにされていると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:三重の愛としての神の存在とアウグスティヌスの哲学における父と子と聖霊という三位一体の神、愛と神とを結ぶ哲学的な議論②

前回記事:アウグスティヌスの哲学における三位一体の解釈、人間の心の愛の働きとの類比における三者の関係構造、三位一体とは何か?⑥

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