アンティゴネの悲劇ともう一人の娘イスメネのその後の消息、ギリシア神話のオイディプス王の悲劇と彼と家族のその後の物語⑤
前回書いたように、アテナイの王テーセウスの庇護のもと、アテナイ近郊のコロノスの森においてオイディプスが安らかな死を迎えたのち、
主君を失ったテーバイの都においては、オイディプスの二人の息子である兄ポリュネイケスと弟エテオクレスの兄弟の間で、王位継承をめぐる争いに端を発した骨肉の争いが繰り広げられていくこととなり、
エテオクレスの裏切りにより、いったんはテーバイの国から追放されていたポリュネイケスが、隣国のアルゴス王の助力を得て、この地にアルゴス人の戦士たちを引き連れて舞い戻ることによって、テーバイの城の攻略を巡る攻城戦の戦端が開かれることになります。
そして、時を同じくして、父オイディプスの最期を看取ったのち、故郷の不穏な情勢を告げる知らせを聞いた娘アンティゴネも、彼女にとっても安息の地であったアテナイを離れて、妹のイスメネと共に、彼女たちの生まれ故郷であるテーバイへと再び戻ってくることになるのです。
『テーバイ攻めの七将』の物語とアンティゴネの悲劇
『テーバイ攻めの七将』の物語として伝わるエテオクレスとポリュネイケスのテーバイの王座をめぐる戦いにおいては、
テーバイの城を守る七つの門のそれぞれを攻めるアルゴス側の七人の武将が選ばれたのち、それに対抗する形で、テーバイの側でもそれぞれの門を守護する七人の武将が選ばれることとなり、
両方の軍勢とも、最後の七つ目の門の攻防を指揮する役目には、両軍の大将であるエテオクレスとポリュネイケスがそれぞれ就くことになります。
そして、城を守るテーバイ人たちの軍勢と、城を攻め落とそうと押し寄せてくるアルゴスの戦士たちの軍勢は一進一退の攻防を続けていくことになるのですが、
ついに、その戦いの決着は、第七の門において対峙するエテオクレスとポリュネイケスの両軍の大将同士の一騎打ちにゆだねられることとなり、
両者は、激しい戦闘の末、相打ちに倒れることとなるのですが、大将が死んでしまったことで目的を失った侵略者の側であるアルゴスの軍勢は次第に劣勢となって壊走してしまうことになり、
両軍ともに王位継承の権利を持った主君の命は失ってしまったものの、こうした一連の戦いの勝敗自体は、アルゴスの軍勢を退けて都を守り切ったテーバイ人の側の勝利に終わることになるのです。
そして、再び主君を失うこととなったテーバイの国においては、すぐに、先代の王妃イオカステの弟にして、エテオクレスとポリュネイケスの両者の叔父にあたり、かつてこの国の摂政の地位にもあったクレオンが新たにテーバイの王座に就くこととなり、
クレオン王は、自らの命を懸けてテーバイの都を守ったエテオクレスに対しては、敬意を払って盛大な葬儀を執り行うことになるのですが、
侵略者であるアルゴスの戦士たちと、この血みどろの戦いを引き起こした首謀者であるポリュネイケスの遺体については、見せしめとして埋葬することを禁じてそのまま野ざらしにしておくように命じることになります。
しかし、遠いアテナイの地からたどり着いたテーバイの城壁の前で兄ポリュネイケスの亡骸を目にしたアンティゴネは、そのまま兄の遺体を野ざらしのまま放置しておくことができずに、
王の命に逆らうという危険を冒してでも、自分一人の手で兄の亡骸を埋葬しようと決意することになります。
王の命令に真っ向から背いて敵方の大将であるポリュネイケスの遺体を盗んで勝手にその埋葬を行ったことに激怒したクレオン王は、
アンティゴネに対して死刑を宣告すると、彼女を生きたまま地下の墓地へと投げ入れて、墓の中で生き埋めにしてしまうことにするのですが、
自らの運命を悟ったアンティゴネは、かつて自分の母であるイオカステが絶望の中で自らの首を紐でくくって死んだのと同じように、
地下の墓所の中で、一人静かに自らの首をくくって自死を遂げ、自らの手で、一族の呪われた運命に終止符を打つことになるのです。
オイディプスのもう一人の娘イスメネの消息と家族の物語の顛末
ちなみに、オイディプスのもう一人の娘であり、アンティゴネの妹であったイスメネについては、彼女は、ギリシア神話の物語の中では、比較的影の薄い人物であり、その消息についてもあまり詳しくは語られていないのですが、
気立ては優しいが臆病なところがあった彼女は、恐ろしい王の命令に逆らってまで姉のアンティゴネについて行くことができずに兄ポリュネイケスの遺体の埋葬には直接手を貸さなかったため、
イスメネだけはその後も生き長らえてこうした悲劇の物語を後世に語り伝えていくことになったとも伝えられています。
しかし、その一方で、
別の伝承においては、彼女もまた、こうした肉親同士の間で繰り広げられた戦乱の中において、テーバイ攻めを行ったアルゴス側の猛将テューデウスによって殺害されたとも伝えられていて、
そちらの方の伝承にしたがうと、オイディプスとイオカステの間に生まれた呪われた四人の子の血筋はこの四人の兄弟姉妹たちの代においてすべて死に絶えてしまうことになったとも考えられることになるのです。
以上のように、
こうしたオイディプスの死後における彼の家族たちのその後の悲劇の物語の中では、
オイディプスの息子であったエテオクレスとポリュネイケスの二人は、自らの肉親に対する冷淡さゆえに、
それに対して、
オイディプスの娘であったアンティゴネは、自らの肉親に対する情愛の深さゆえに、自らの身を滅ぼすことになってしまったと考えられることになるのです。
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