エレクトラコンプレックスの由来とは?ギリシア神話における王女エレクトラと弟オレステスによる母殺しの復讐の物語
前回までの「ギリシア神話のオイディプス王の悲劇と彼と家族のその後の物語」のシリーズの記事で書いていきたように、
エディプスコンプレックスとは、フロイトの心理学において登場するギリシア神話におけるオイディプスの悲劇に由来する心理学用語ということになるのですが、
こうしたエディプスコンプレックスと同様に、幼少期の子供において異性の親に対する愛着と同性の親に対する敵対心が生じる心的傾向のことを意味する心理学上の概念としては、そのほかにも、エレクトラコンプレックスと呼ばれる言葉を挙げることができます。
エレクトラコンプレックスとは、エディプスコンプレックスの場合とは対照的に、幼少期の段階にある女児が、異性の親である父親に対して性的な願望へと通じるような深い愛情を抱き、その一方で、同性の親である母親に対しては憎しみや敵意の感情を抱くようになる無意識的な心的傾向のことを意味する言葉ということになるのですが、
こうしたエレクトラコンプレックスと呼ばれる心理学上の概念も、ギリシア神話の中の登場人物のうちの一人である英雄アガメムノンの娘であった王女エレクトラに由来する言葉であると考えられることになります。
クリュタイムネストラによるアガメムノンの殺害と弟オレステスの救出
エレクトラ(Elektra)は、ギリシア南部のペロポネソス半島の東部に位置する古代都市であったミュケナイ(ミケーネ)の王にして、トロイア戦争においてギリシア軍の総大将を務めたギリシア神話の英雄であるアガメムノンとその妻であったクリュタイムネストラの間に生まれた娘であり、
彼女は、その幼少時代においては、彼女の弟であったオレステスと共に、ミュケナイの王宮で幸せな時を過ごすことになります。
しかし、十年間にもおよぶトロイア戦争がはじまって、夫であるアガメムノンがミュケナイの王宮を長い間留守にするようになると、
彼の妻であったクリュタイムネストラは、その隙に彼女の情夫であったアイギストスを王宮へと呼び寄せて彼との間の道ならぬ恋へとその情熱を傾けていくようになります。
そして、やがてトロイアとの戦いに勝利して、ミュケナイ本国へと凱旋するアガメムノンが王宮へと戻って来ると、
アイギストスとの間の不義の関係が発覚することを恐れたクリュタイムネストラは、トロイア戦争におけるギリシアの勝利を称える祝宴の席において、アイギストスと共に、その場で自らの夫であるアガメムノンを殺害してしまうことになるのです。
アガメムノンの死後、クリュタイムネストラは、自分の情夫であるアイギストスを新たなミュケナイの王として即位させると、彼女は、夫を殺した自らの罪に対する報復を恐れて、まだ幼い息子であるオレステスの命をも奪おうとすることになるのですが、
こうした残酷で狡猾な実母の計略を察知したエレクトラは、密かに弟オレステスを自らのもとにかくまうと、ミュケナイから北へ、デルポイの神殿の上にそびえ立つパルナッソス山を越えて、コリンティアコス湾を隔てたギリシア本土側の対岸に位置する古代都市であったポーキス(フォキス)へと向かい、
この地を治めていた彼女の伯父にあたるストロピオス王へとオレステスのことを託すことによって、自らの弟の命を救うことには成功することになるのです。
王女エレクトラの母殺しとポーキスの王子ピュラデスとの婚姻
その後、不遇の扱いは受けたものの、女の身であることから、実母であるクリュタイムネストラとその情夫であるアイギストスから命を奪われることまでは免れることになったミュケナイの王女エレクトラは、
自らの父であるアガメムノンの墓に自らの母への復讐を堅く誓い、その後、何年にもわたって、ポーキスにいる弟オレステスのもとへと使者を送り続けては、父の敵討ちを行う決意を強く語り聞かせていくことになります。
そして、ミュケナイの王宮において、常に自らの母であるクリュタイムネストラのそばで息をひそめて暮らしながら、復讐と憎悪の炎を絶やさずに生き続けてきた王女エレクトラは、
弟オレステスが成人するのを待ってから、二人で父であるアガメムノンの墓前で再会すると、その場で二人の復讐の計画を練り上げていくことにします。
エレクトラは自らが練り上げた計略に従って、クリュタイムネストラとアイギストスの二人に、ポーキスからの使者が弟オレステスが死んだことを知らせるために彼の遺灰が入った壺を持って王宮を訪れていると告げると、
クリュタイムネストラは、自分に対する復讐を企んでいたかもしれない息子の死を知って、もはや自らの命が脅かされる恐れはなくなったと安堵の表情を浮かべることになるのですが、
次の瞬間、エレクトラの手引きによってすでに王宮の中に侵入していたオレステス本人が、自分が死んだと聞いて油断していたアイギストスに切りかかってその首を討ち取ると、そのすぐ後に、命乞いをする自らの母であるクリュタイムネストラをも殺害することによって、
エレクトラとオレステスの姉と弟の二人による父の敵討ちと母殺しの復讐の計画がついに果たされることになるのです。
こうした復讐の計画が果たされたのち、オレステスは、自分が犯した母殺しの罪に苛まれて気狂いとなり、ギリシア諸国を放浪する旅へと追い立てられていくことになるのですが、
そうした漂流の旅の末に、オレステスは、デルポイの神殿における神託を司る神であるアポロンの助力を得た姉のエレクトラの助けによって正気を取り戻すと、
その後、知恵の女神アテナによってアテナイのアレスの丘(アレオパゴス)において開かれた神々の審判によって無罪の評決を受けてその罪を赦されることとなります。
そして、その後、オレステスは、自らの故郷であるミュケナイの地へと戻ると、亡き父アガメムノンの跡を継いで、ミュケナイの王として君臨することとなり、
王女エレクトラも、自らの弟であるオレステスのことをその放浪の旅の間も傍らで支え続けてくれていたポーキスの王子ピュラデスと結ばれることによって、その後も幸せな生涯を送ることになるのです。
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次回記事:オイディプスとエレクトラの親殺しの物語における悲劇の三つの意味の違いとは?
前回記事:アンティゴネの悲劇ともう一人の娘イスメネのその後の消息、ギリシア神話のオイディプス王の悲劇と彼と家族のその後の物語⑤
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