エス(イド)とは何か?③フロイトの心理学におけるエスの定義と発生学的な観点におけるエスから自我そして超自我への心の分化のあり方

前回書いたように、心理学上の概念としてのエス(イド)と呼ばれる言葉は、もともとは、ドイツ語におけるes(エス)およびラテン語におけるid(イド)という日本語では直接的には「それ」と訳されることになる中性形の代名詞に由来する言葉であり、

こうしたドイツ語やラテン語における言葉本来の意味に基づくと、それは、もともとは、生物におけるあらゆる生命活動と精神活動の根本に存在する中性的で原始的な心のあり方のことを意味する概念であったと捉えることができると考えられることになります。

それでは、

フロイトの心理学理論においては、こうしたエスやイドと呼ばれる心の部分は、具体的にはどのような働きを担う心の部分として定義されることになり、

それは、自我や超自我といったほかの心の部分とは互いにどのような関係にある心の部分として位置づけられることになると考えられることになるのでしょうか?

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フロイトの心理学におけるエスの定義と自我および超自我との関係とは?

以前に自我と超自我とエスという人間の心の三つの部分の具体的な特徴と性質とは?の記事で書いたように、フロイトの精神分析学における後期の心理学理論においては、

人間の心の階層構造のあり方は、自我超自我イド(エス)と呼ばれる三つの心の部分から構成される三層構造の心のあり方として捉え直されたうえで、

そのうち、エス(イド)と呼ばれる言葉によって指し示される心の部分は、「~が欲しい」「~したい」といった人間における原始的で本能的な欲求や衝動などを司る心の部分として定義されることになります。

それでは、

こうしたエス(イド)と呼ばれる心の部分と、自我および超自我と呼ばれる他の心の部分との間には、具体的にどのような関係が存在していると考えられることになるのか?ということについてですが、

まず、

こうしたエス(イド)と呼ばれる心の階層構造の基底をなす部分から突きつけられてくる様々な欲求や衝動に対して、

それを道徳的な規範に沿うような形へと規制し、自らが理想とする倫理的な姿に反するような欲求や衝動に関しては、それに対して禁止する命令を与える心の部分として、超自我と呼ばれる心の部分が位置づけられることになります。

そして、さらに、

そうしたエス(イド)から突き上げられていくる様々な欲求や衝動と、超自我から要請される規制と禁止との間の板ばさみになりながら、

両者の心の働きの間の適切なバランスをとっていくことによって、現実における実際の行動を選択する判断を下していく心の部分が自我と呼ばれる心の部分として位置づけられることになるのです。

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発生学的な観点におけるエスから自我そして超自我への心の分化

そして、次に、

発生学的な観点からこうしたエス(イド)自我超自我と呼ばれる三つの心の部分の関係のあり方について考えていくと、

まず、

幼児や赤ん坊、さらには、まだ母親のおなかの中にいる胎児の段階においてすら、すでに存在していると考えられる最も原初的な心の部分としては、

人間の心における本能的な欲求と衝動を担う心の部分であるエス(イド)と呼ばれる心の部分が挙げられることになり、

例えば、

生まれて間もない赤ん坊などは、こうしたエス(イド)から生じる欲求や衝動のままに、お腹がすけば泣き声をあげて、欲求が満たされれば泣きやむといった行為をほとんど無自覚的な形で繰り返していくことになります。

そして、

生後数か月から半年ごろの段階になると、今度は、そうしたエス(イド)の部分から、意識的な行動の選択を行う自我の部分が新たに分化していくことになり、

例えば、

同じようにお腹がすいた状態にある場合でも、近くに人がいるのを確認してから泣き始め、人が近づいてきて自分のことを世話しようとしてくれていることが分かると、まだ欲求が満たされていない段階でもそれを察知して早めに泣きやむようになるというように、

母親や自分の周りの人々の反応を見ながら、そうした外界の変化に合わせていく形で、ある程度意識的で合理的な判断を下すことができるようになっていくことになります。

そして、そこからさらに、

二歳から三歳くらいの成長段階へと至るころになると、親などの周りの人々からのしつけや教育などを通じて、次第に道徳観や倫理観などが自らの心のうちに内面化されていくことになり、

例えば、

お腹がすいていても、お店や電車の中といった場所では、周りの人の迷惑にならないように、泣き出したい気持ちをいったん抑えて我慢しようとすることがあるというように、

そうした内面的な道徳規範に基づいて、自らがとろうとしている行動に対して規制や禁止の要請を行う超自我と呼ばれる心の部分が新たに形作られていくことになると考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

フロイトの心理学においては、エスやイドと呼ばれる心の部分は、「~が欲しい」「~したい」といった人間における原始的で本能的な欲求や衝動などを司る心の部分として定義されることになり、

それは、超自我自我といったほかの心の部分との関係においては、

超自我は、道徳的な観点からエス(イド)から突き上げられてくる様々な欲求や衝動に対して規制や禁止を要請してくる心の部分、

自我は、そうしたエス(イド)超自我の両者の働きの間の適切なバランスをとることによって、現実的な行動を選択する判断を下していく心の部分としてそれぞれ位置づけられることになあります。

そして、

発生学的な観点においては、こうしたエス(イド)自我超自我と呼ばれる三つの心の部分は、

まず、胎児の段階において、本能的な欲求と衝動を担う心の部分であるエス(イド)が原初的な心の働きとして存在していて、

次に、生後数か月から半年ごろの段階になると、意識的で合理的な行動の選択を行う心の部分である自我が新たに分化していくことになり、

そこからさらに、二歳から三歳くらいのの段階になると、次第に周りの人々から教えられる道徳観や倫理観などが自らの心のうちに内面化されていくことによって、超自我と呼ばれる心の部分が新たに形作られていくことになると考えられることになるのです。

・・・

次回記事:無意識とエス(イド)の関係とは?意識と自我の領域へ能動的に働きかける力を持つ無意識的な心のあり方としてのエス(イド)の定義

前回記事:エス(イド)とは何か?②ドイツ語とラテン語におけるエスとイドという言葉の具体的な意味と、あらゆる生命活動と精神活動の根本に存在する中性的で原始的な心のあり方

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