逆向きに働き合う調和と張り渡された一本の弦

ヘラクレイトスの哲学の概要で、

ヘラクレイトスにおいて、

不変なる一なるロゴスによってもたらされている、
世界の秩序と調和とは、

ピタゴラスが考えたような
数式で表せる整然とした静的な調和ではなく

対立するものがせめぎ合い、
正反対の方向へと働く2つの力が拮抗する

逆向きに働き合う調和

であると書きましたが、

その逆向きに働き合う調和とは具体的にどのようなものなのか?

ということについて考えてみたいと思います。

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竪琴の上に張り渡された一本の弦

ヘラクレイトスは、

その箴言の断片の中で、
逆向きに働き合う調和」について以下のように語っています。

人間は、どうして一なるものが、
自己自身と反目しつつ、同時に、
自己自身と一致するかということを理解しない。

それは、弓や竪琴にみられるような
逆向きに働き合う調和なのである。

(ヘラクレイトス断片・51)

つまり、

竪琴の枠の間に張り渡された
が、美しい音色を奏でるためには、

両端から強い力で引き絞られ、

今にもはじけ飛びそうになるほどに、ピンと張りつめていながら、
弦が完全に破壊されてしまうには至らない

ギリギリの緊張状態
両端からの強い力拮抗状態

が必要であり、

そうした
対立する力拮抗状態

すなわち、

逆向きに働き合う力拮抗状態

において、はじめて、

竪琴の弦は、美しい音色を奏で、
音楽調和がもたらされる、

ということです。

そして、これは、

竪琴が奏でる美しい音階と
弦の長さとの比例関係
から、

現実の世界の背後に、
論理ロゴス)に基づく調和の力が働いている
という真理を見いだしながら、

その外面上
静かで美しい調和harmoniaハルモニア)の姿に気を取られ、

その内側に、調和の本質として、
暴力的緊張関係が潜んでいることに目を向けようとしなかった、

ピタゴラス学派数学的静的な調和理論
に対する強い批判の投げかけでもあります。

つまり、

ヘラクレイトスにおいて、

調和とは、

黒板の上に書かれた
数式で表すことができるような

静的止まった秩序ではなく、

竪琴の枠の間に力強く張り渡された
一本の弦
のように、

弦のなかで、対立する力同士が激しく衝突し、
2つの力がせめぎ合い、拮抗していくなかでもたらされる

動的で暴力的な調和

として捉えられているということです。

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肉体における生と死の調和

視点を変えれば、

音楽に象徴される世界全体の秩序だけではなく、
一人一人の人間の生命においても、
調和に内在する対立拮抗の調べは見いだすことができます。

例えば、

いかに均整のとれた、健康な肉体をもった
若者であっても、

マネキンギリシア彫刻を思わせるような、
黄金比に象徴される静的な外形の肉体美とは裏腹に、

その肉体の内部では、
古い細胞が打ち砕かれ、新しい細胞が生み出されるという、
絶え間ない新陳代謝の営みが繰り広げられています。

このように、

人間の肉体の調和は、常に、
古い細胞のと、新しい細胞のという
2つの逆向きに働き合う力の拮抗関係によって成り立っているのですが、

体内における
生の力死の力の対立とも言えるこの拮抗関係は、

によって死の力が強まるか、
老いによって生の力が弱まる、

という

いずれかの側からのバランスの欠如が決定的となるまで続き、

生の力が死の力との闘争に敗れ、
張りつめていた弦がプツンと途切れてしまったとき、

生命としての調和も終焉を迎え、
肉体の全体としての死が訪れることになります。

このように、

人間の肉体においては、

その肉体が最も美しく、若く壮健である時ですら、
内部では、2つの力の対立拮抗が常に存在し、

生命の全体の調和は、

という2つの力の
闘争拮抗によって成り立っている、

ということです。

以下のように、

ヘラクレイトスにおいては、

不変なる一なるロゴスによってもたらされる
調和と秩序の内部では、
対立する力同士が、絶え間なく激しくせめぎ合っていて、

このような

対立する力の闘争と拮抗、

すなわち、

逆向きに働き合う力の闘争と拮抗によって、

世界全体、そして、個々の生命における
動的な調和がもたらされている、

と考えられるのです。

ニーチェの「一本の綱」とヘラクレイトスの「竪琴の弦」

このことは、

ヘラクレイトスと同じように、
アフォリズム箴言)を多用することによって真理を描き出そうとした

ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』における、
深淵の上にかかる一本の綱の箴言になぞらえて、
以下のように語ることもできるでしょう。

調和とは、
竪琴の上に張り渡された一本の弦なのだ。

それを強く引き絞るのも危険であり、
力を緩めて弛ませるのも危険であり、
戦慄して、音を奏でる手をとめるのも危険である。

そして、

そのような闘争緊張状態の極限において、
世界全体においても、一人一人の人間の人生においても、
動的な調和が存立している、

と考えられるのです。

・・・

ヘラクレイトスの哲学の概要

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