馬鹿という言葉の語源と中国の故事における本当の意味とは?主体性を自ら放棄する人間の愚かさとして馬鹿の意味のあり方
日本語において、頭が悪い人や愚か者のことを意味する「ばか」という言葉は、
もともと、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)において、無知のことを意味するmoha(モーハ)という言葉を日本語へと音写する時に、
moha(モーハ)→慕何(ボカ)→ばかという形で変化していく形で成立していった言葉であると考えられていますが、
この「ばか」という言葉を表す漢字として、「馬」と「鹿」という二つの漢字が当てられるようになったのは、古代中国における馬鹿(バロク)の故事に由来するとも考えられています。
そして、
こうした古代中国の馬鹿の故事に基づく言葉の意味からは、
単なる無知や勉強不足などによって頭が悪いということを意味する通常の意味における馬鹿とは少し違った馬鹿という言葉の意味のあり方を読み取ることができると考えられることになるのです。
古代中国における馬鹿の故事と秦の帝国の没落への道
古代中国においては、
紀元前221年、秦の始皇帝の手によって中国全土の統一が果たされたのち、
万里の長城や皇帝が住む大宮殿である阿房宮の建設のために多くの農民が駆り出されて酷使されていくことになると同時に、
焚書坑儒と呼ばれるように、皇帝の意に反する文言が書かれている可能性のある書物はすべて焼き捨てられ、王朝の政治に異を唱える学者たちは生き埋めの刑に処されてしまうというように、厳しい思想統制と言論の弾圧が進められていくことになります。
そして、
こうした秦王朝において進められていた圧政と恐怖政治は、紀元前210年に始皇帝が死去した後の二世皇帝である胡亥(こがい)の時代において、さらに激化していくことになるのですが、
古代中国における馬鹿の故事は、こうした秦の始皇帝亡き後の二世皇帝の治世における秦王朝の宮中を舞台として語られていくことになります。
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始皇帝亡き後の秦王朝では、二世皇帝の後見人の立場にあった宦官である趙高(ちょうこう)が宮中において絶大なる権力を振るうようになり、自らの意見に逆らう者をことごとく処刑して排除していくという恐怖政治を敷いていくことになるのですが、
ある時、趙高は自らの権力の大きさを廷臣たちに見せつけようとして、試みに二世皇帝の前に一匹の鹿を連れてきて献上して、
「これは馬でございます」
と言い放つことになります。
二世皇帝は、これは何の冗談かと笑って、周りの臣下の者たちに、
「これは鹿ではないのか?」
と尋ねることになるのですが、
これに対して、
多くの人々は、趙高の権勢の大きさを恐れて、彼の意見に黙って従っていれば問題ないと考え、
「いえ、馬に相違ありません」
と答えて、その鹿は馬とされたまま皇帝へと献上されてしまうことになるのです。
そして、
このように、絶大な力を持った権力者を前にして、明らかな誤りであっても誰もそのことを正すことができない状態が続いていくことによって、秦王朝は政治の方向性を見誤ったまま没落の道を進んで行くことになり、
紀元前207年、秦の帝国は、栄華を極めた初代皇帝である始皇帝の死からわずか3年にして滅亡の時を迎えてしまうことになるのです。
自分の頭で考える主体的な生き方の放棄としての馬鹿の意味のあり方
以上のように、
こうした古代中国の秦の時代を舞台とした馬鹿(バロク)の故事においては、
権力を持つ者が自分が持つ力の大きさにおごり高ぶって、自らの言説や行動を一切かえりみずに、明らかに事実に反する主張であっても、事実の方を曲げて押し通そうとする権力者の傲慢な愚かさが示されていると同時に、
さらには、
そうした明らかな事実に反する主張を突きつけられても、そのまま自分より大きい力を持った強者へとおもねり、自分の頭では深く考えずに、多数意見に常に迎合することを是とするという
強者や多数意見に盲目的に従い、物事を自分の頭で考えて判断するという主体性を自ら放棄する人間の愚かさについても示されていると考えられることになります。
そして、こうした古代中国における馬鹿の故事における馬鹿の意味の解釈のあり方を踏まえると、
馬鹿という言葉が持つ本当の意味は、単に頭が悪いとか無知であるといった意味だけではなく、
自分の頭で考えることをせずに、ただ、強い者の意見に従って、言いなりになってしまっている人間、
つまり、
物事を自分の頭で考え、自らの心に従って主体的に生きることを放棄してしまっている人間の愚かさのことを指して、こうした言葉が用いられるようになっていったとも考えられることになるのです。
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