あほ(阿呆)とあほう(阿房)の語源とは?秦の始皇帝による阿房宮の建築において見る人間の偉大さと愚かさ

「あほ」、あるいは、「あほう」とは、日本語において、もの分かりが悪い人物や、道理の通らない行いをする愚かな人のことを意味する言葉として用いられることになりますが、

こうした「あほ」「あほう」といった言葉は、一般的に、漢字における表記では、「阿呆」または「阿房」という表記が用いられることになります。

このうち、

前者の「阿呆」という表記に、「呆」という漢字が用いられている理由としては、

あっけにとられて気が抜けたようにぼんやりとしてしまっている様子のことを指して、呆然(ぼうぜん)という言葉が用いられ、

現在では認知症と呼ばれるような判断能力などの知的能力が低下している状態にあることを指して、以前には、痴呆(ちほう)という言葉が用いられていたように、

もともと、「呆」という漢字は、知覚や知性の働きが鈍っている状態のことを意味する文字であると考えられるため、

こうした「呆」という漢字が持つイメージがそのまま「あほ」という言葉の意味合いと重なることから、こうした漢字が「あほ」という言葉の当て字として用いられるようになっていったと考えられることになります。

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秦の始皇帝の命による阿房宮の建築と強調語としての「あほ」の意味

それに対して、

後者の「阿房」という表記の方の語源については、一般的には、

古代中国の秦の始皇帝の時代において建設が進められていた阿房宮と呼ばれる古代の皇帝のための大宮殿に由来してこうした当て字が用いられていくようになったと考えられていて、

紀元前221に、歴史上はじめて華北と華南を含む中国全土の広大な領域の統一を成し遂げた始皇帝は、

自らが手にした強大な権力を世の人々に広く知らしめるために、阿房宮(あぼうきゅう)と呼ばれる自分が住むための巨大の宮殿の建造を命じることになるのですが、

こうした始皇帝の命令によって建築が進められていた阿房宮の具体的な大きさは、

詳しい記録が残されている前殿についてだけでも、東西に約700メートル南北に約120メートルにも及ぶ広大な広さをもった宮殿であったとされていて、

その殿上には、同時に一万人もの人々を集わせて座らせることができるだけのスペースが確保されていたと伝えられています。

ちにみに、

「あほ」という言葉の類義語としては第一に、一般的には、「ばか」という言葉が挙げられることになると考えられることになりますが、

こうした「ばか」や「あほ」といった言葉は、

「ばかでかいケーキ」といった表現や、「あほなほど高いチケット」といった表現などにおいて見られるように、

一緒に用いられている形容詞の程度や量が非常に大きいことを表現する強調語として用いられるケースも多いと考えられることになりますが、

まさに、

こうした始皇帝の命令によって建築が進められていた阿房宮とよばれる大宮殿は、そうしたあほなほど大きい建造物であったと考えられることになるのです。

始皇帝の死と阿房宮を焼き尽くすために三か月にわたって燃え続けた炎

このように、

秦の始皇帝は、自らが手にした絶大なる権力の大きさを誇示するために、阿房宮という、まさに、あほのようにどでかい大宮殿をつくろうとしていたと考えられることになるのですが、

こうした始皇帝の命令によって建築が進められていた阿房宮は、あまりにも大き過ぎる宮殿であったため、

実際には、宮殿が完成する前に、その建造を命じた始皇帝の方が先に死んでしまうことになります。

そして、

こうした秦王朝の統治下における古代中国においては、阿房宮や、万里の長城、さらには、始皇帝の墓である驪山陵(りざんりょう)などの大規模建築物の建造のために、

秦の支配下にあった中国全土から農民たちが強制的に徴用され、労働のために酷使され続けていくことになるのですが、

こうした一連の秦王朝における強圧的な政治のあり方に対して、中国全土において農民や諸侯の不満が高まっていくことになり、

こうした経緯から、

陳勝・呉広の乱(ちんしょうごこうのらん)を先駆けとして、中国全土で農民蜂起諸侯の反乱が引き起こされることによって、

最終的に、秦王朝は、始皇帝によって中国全土の統一が果たされてから14、王朝の初代皇帝である始皇帝の死からわずか3年の短さにして滅亡の時を迎えてしまうことになるのです。

そして、こうした秦王朝の滅亡の際、

秦を滅ぼした劉邦と項羽という二人の武将の内の項羽の手によって、秦王朝の権力の象徴であった阿房宮にも火が放たれてしまうことになるのですが、

阿房宮は、その宮殿の大きさがあまりにも巨大であったことから、すべてが燃え尽きて灰に帰してしまうまでに、炎が三か月にわたって燃え続けたとも伝えられています。

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より大きく偉大であろうとするがゆえに身を滅ぼす人間の愚かさ

以上のように、

「あほ」や「あほう」という言葉の当て字として、「阿呆」と「阿房」という表記が一般的に用いられていくことになった具体的な理由としては、

「呆」という字は、知覚や知性の働きが鈍っている状態を示すというように、もともと「あほ」という言葉が持つ意味合いと非常に近いイメージを表す漢字であったのに対して、

「阿房」という表記については、古代中国の秦の始皇帝の時代において建設が進められていた阿房宮と呼ばれる巨大な宮殿に由来していると考えられることになります。

そして、前述したように、

始皇帝は、自らが持つ絶大なる権力の大きさを誇示するために、こうしたとてつもなく大きい宮殿の建造を命じたと考えられることになるのですが、

結局、その宮殿の大きさがあまりにも大き過ぎたことから、始皇帝自身はその完成を目にすることもないまま死んでしまうことになり、

こうした大宮殿の建築のために酷使した農民や諸侯たちから強い反感と恨みをかうことによって、始皇帝は、かえって、自らが打ち立てた帝国の滅亡の原因をつくってしまうことになったとも考えられることになります。

つまり、そういう意味では、

「あほ」という言葉に対して、「阿房」という当て字が用いられるようになった理由としては、

単に、秦の始皇帝が建築を命じた阿房宮の大きさが、通常の人間の頭では考えることができないようなあほのように大きい宮殿であったということだけではなく、

常に、自らがより大きくより偉大な存在であることを示そうと望み続けながら、その欲望の大きさによって、かえって身を滅ぼし、すべてを失ってしまう人間の愚かさのことを指して、

こうした阿房宮の「阿房」という字が、「あほ」や「あほう」という言葉の当て字として用いられるようになっていったとも考えることになるのです。

・・・

次回記事:馬鹿(バカ)と阿房(アホウ)に共通する由来とは?人間の偉大さと愚かさを同時に体現する存在としての秦の始皇帝の存在

前回記事:馬鹿という言葉の語源と中国の故事における本当の意味とは?主体性を自ら放棄する人間の愚かさとして馬鹿の意味のあり方

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