唯才是挙とは何か?曹操が目指した理想の世界のかたちと才と徳そして学問と道徳を分離して捉える新たな知の基準
「唯才是挙」(ゆいざいぜきょ)とは、「ただ才のみ是れ挙げよ」、すなわち、
その人物の地位や家柄、人格や過去の行いなどに一切よらずにただ才があれば用いるという国や社会に役立つ有能な人材を登用するための能力主義的あるいは実力主義的な人材登用のあり方のことを意味する言葉ですが、
この言葉は、もともと、
古代中国の三国時代において、魏の国を建国した始祖である曹操(そうそう)が、その死後に息子である曹丕が後漢の献帝からの禅譲を受けることによって新たに皇帝となることになるちょうど十年前の西暦210年に、
自らが理想とする新たな国を作り上げるために必要な有能な人材を中国全土から広く集めるために発布した求賢令(きゅうけんれい)と呼ばれる人材登用を奨励する布告文の中にでてくる文言ということことになります。
そして、
こうした「唯才是挙」あるいは「唯才」という言葉からは、知の分野において、学問と道徳を分離して捉える考え方や、
曹操が理想とする国家観などを読み取ることができると考えられることになります。
才と徳そして学問と道徳を分離して捉える新たな知の基準
西暦210年に魏の曹操が発布した求賢令においては、
「唯才是挙」という文言と並んで、非情の者、邪な心も持つ者、不逞の輩、不仁不孝を働いてきた者であっても才能があれば用いるといった内容がが記されているのですが、
上記の文言においては、一言でいうと、
身分の低い者や悪人であっても、能力が高いならば、その才能を活用して社会に役立てればいいし、
身分の高い者や善人、人格者であっても、能力が低いならば、そのような人物が出す愚かな指示に従う必要はないという
学問や政治の分野において才と徳を分離して捉える考え方が示されていると考えられることになります。
例えば、
人柄は良いが手術の腕が悪くて患者をすぐに殺してしまう人格者のヤブ医者よりも、人格に歪んだところがある口が悪い名医の方が、知識や技術においては優れていて医者としても有能であり、
誰でも自分が病気になった時に診てもらうならば、前者の医者よりも後者の医者の方に診てもらいたいと考えるように、
見た目の行いが品行方正で地位が高い人格者であるかといって、そのような人物が必ずしも優れた知識や技術を持っているとは限らないと考えられ、
逆に言えば、
たとえ、過去に悪事をなしてきた悪人やならず者、身分の低い卑しい人物であったとしても、何らかの知恵や才を持っていて、ある分野における能力が高いならば、その能力を活用して社会に役立てればいいとも考えられることになります。
つまり、このように、
こうした求賢令における「唯才是挙」という言葉においては、
その人物の身分の軽重や、家柄の良し悪し、人格や過去の行いなどによらずに、ただ能力のみを取り出して評価の対象とするという形で、
一人の人間において才と徳、あるいは、能力と人格を分けて捉えたうえで、社会においては学問と道徳を分離して捉えるという新たな知の基準が示されていると考えられることになるのです。
儒教的権威の否定の上に成り立つ自由で柔軟性の高い新たな知の枠組み
ところで、このように、求賢令においては、
非情や邪(よこしま)、不逞(ふてい)や不仁不孝といった非道徳的で不穏な言葉が並んでいますが、だからといって、
ここでは、社会の内から倫理や道徳といったものを一切取り払ってしまって、強い者が弱い者を虐げるような弱肉強食の世界を作ろうとするとか、能力の低い者は切り捨ててしまってもよいといったことが述べられているわけではないと考えられ、
上記の布告文の中で用いられている不仁不孝といった言葉が、
儒教においても最も重視されている仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌といった人間において最も重要とされる徳目と真っ向から対立する言葉であることからも分かる通り、
こうした求賢令における少し誇張されたところのある文言は、一義的には、それまで古代中国における学問や社会体制のあり方支配してきた儒教の権威をいったん否定し、
儒教思想に基づく既存の社会体制や学問体系の枠組みの中で、硬直して束縛されてきた人間の知や才のあり方を広く世の中へと解放することを目指すという学問の儒からの解放という意味でこうした文言が用いられていると考えられることになります。
つまり、
こうした求賢令において記されている布告文の文言は、
それまで儒教の権威の名のもとに縛り付けられてきた既存の社会体制や学問体系の内に存在するすべてのしがらみをいったん全部取り払ってしまったうえで、
新しい時代にあったより自由で柔軟性の高い新たな知の枠組みを創り上げることを目的として発令された布告であったと考えられることになるのです。
才を見極める才と曹操が目指した理想の世界のかたち
以上のように、
曹操が発布した求賢令において記されている「唯才是挙」という言葉からは、
儒教思想に基づく既存の社会体制や学問体系の枠組みをいったんすべて取り払ったうえで、
才と徳そして学問と道徳とを分けて捉え、それぞれの専門分野における秀でた才能を純粋に見いだしていこうとする新たな知の枠組みと学問体系のあり方の萌芽を読み取ることができると考えられることになります。
そして、さらに言うならば、
こうした唯才是挙の布告によって新たに推挙された者の才能を適切見極めるためには、そうした才能の有無を判断する裁定者の側に、
あらゆる才能を的確に見極めるための才能、すなわち、才を見極めるための才が必要になると考えられることになります。
そして、
こうした唯才の思想を唱えた曹操自身が、後漢末期の数十万人に及ぶ大規模な農民反乱である黄巾の乱の鎮圧や袁紹との官渡の戦いで名を挙げた優れた武将にして政治家であると同時に、
詩人や兵法家などとしても広く業績を残してきた、あらゆる学問分野に広く精通するマルチ人間であったことからも分かる通り、
曹操自身が自らがそうした才を見極めるための才を持った才の裁定者としての資格と能力を十分に備えていることを自負していたと考えられることになるのですが、
そう考えると、こうした求賢令を発布した曹操の目的の中には、単に、様々な才能を持った賢者たちを世の中から集めて彼らを適材適所に配置するということだけではなく、
そうした世界に存在するあらゆる才を取り集めて自分のもとへと呼び寄せることによって、曹操自らがそれらの新たな才からさらに学び、触発されることを通じて、自分自身の才をも限りなく高めていくという目的も含まれていたと考えることができるかもしれません。
つまり、そういう意味では、
そうした自らの才をも含むすべての人々が持つあらゆる種類の才をこの世界の内に自由に解き放つことこそが曹操が理想とする知のあり方であり、
そうした自由な知のあり方が広く実現され、各人が思うがままに自らの才をどこまでも高めていくことができる国や社会のあり方こそが、曹操が理想とする世界のかたちであったとも考えられることになるのです。
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