プラトンの「洞窟の比喩」における洞窟の囚人たちと壁面に映る影絵の世界、プラトン『国家』における認識論④
前回書いたように、プラトンの『国家』第六巻で語られる「線分の比喩」においては、
人間の認識におけるエイカシア(映像知覚)、ピスティス(知覚的確信)、ディアノイア(間接的認識)、ノエーシス(直知的認識)という四つの認識のあり方は、
四つの線分へと分割された一本の直線との対応関係の議論を通じて、直接的認識と間接的認識の間をめぐる三重の比例関係として成立しているということが説明されています。
そして、
こうした「線分の比喩」における四つの認識の比例関係についての議論を踏まえたうえで、その次の「洞窟の比喩」の議論においては、
また別の角度から語り出される新たな比喩によって人間の認識のあり方が深く洞察されていき、それによって、より正しい真実の認識のあり方を導くための議論が展開されていくことになるのです。
壁面に映る影絵の世界を真実の世界だと思い込む洞窟の囚人たち
プラトンの『国家』第七巻で語られる「洞窟の比喩」の議論においては、
現実の世界において自分の目で対象となる物体を見て、事物を知覚するという認識のみによって、対象を正しく理解したつもりでいるという人間における通常の認識のあり方は、
言わば、洞窟の奥底に手足を縛られた状態で拘束されながら、洞窟の壁に映っている影像を真なる実在であると思い込んでいる囚人のような認識のあり方に過ぎないという比喩が語られることになります。
洞窟の奥底にとらわれている囚人たちは、洞窟の入口とは反対方向を向かされ、目の前にある暗い壁面と向かい合わせになる形で拘束されているのですが、
その洞窟の壁面には、遠くの洞窟の入り口の方から差し込んでくる太陽の光と、そうした明るい外の世界と暗い洞窟の世界の間を横切る様々な事物がつくり出す影によって、実体を持たない映像だけの影絵の世界が映し出されることになります。
しかし、
生まれた時から暗い洞窟の壁面に映る影絵の世界だけを見せられ続けていて、
外の明るい世界を実際に見ることも、そうした明るい真実の世界が洞窟の外に広がっていることに気づく機会すら与えられずに過ごしてきた囚人たちは、
自分の目に映る影絵の世界を真実の世界だと思い込み、外の明るい光の中に実在する彩りにあふれる美しい世界に触れることも、そうした世界の存在にすら気づくこともないままに、自らの一生を終えていくことになります。
そして、こうした「洞窟の比喩」においては、
暗い洞窟の中で、彩りにあふれた外の真実の世界に気づくことなく、目の前の壁面に映る影絵の世界だけに魂を捕らえられている洞窟の囚人たちと同じように、
現実の世界における人間の通常の認識のあり方もまた、物質的な存在としての事物の認識だけにとどまり、その世界の背後にある真なる実在であるイデアの世界の存在に気づかないままでいる不完全で誤った認識のあり方に過ぎないということが語られていると考えられることになるのです。
現実の世界からイデアの世界への魂の視線の向け変え
以上のように、
プラトンの「洞窟の比喩」の議論においては、
現実の世界における事物の認識だけにとどまって、その背後にあるイデアの認識へと至ることのない人間の通常の認識のあり方は、
住み慣れた暗い洞窟の世界の中にとどまって、明るい外の世界の存在に気づかないまま、壁面に映る影絵の世界を真実の世界だと思い込んでいる洞窟の囚人たちと同様の認識のあり方に過ぎないということが語られていると考えられることになります。
そして、
ちょうど、捕らわれの身から解放された洞窟の囚人たちが洞窟の外に広がる明るい真実の世界を実際に目にするためには、
住み慣れた暗い洞窟の世界から、恐る恐るではあるものの一歩一歩段階を経て、光が差し込んでくる方向へと歩みを進めていくことが必要であるように、
人間の認識が、真なる実在であるイデアの認識へと至るためには、
文字通り、洞窟の壁面や水面に映った幻の姿をその事物の真なる実在であると思い込んでいるエイカシア(映像知覚)の状態から、
ピスティス(知覚的確信)、ディアノイア(間接的認識)、そして、イデア自体についての直接的な認識であるノエーシス(直知的認識)へと一歩一歩段階を経ていく形で認識のレベルを引き上げていく作業が必要であると考えられることになります。
そして、プラトンの「洞窟の比喩」においては、このようにして段階的に、
暗い洞窟の壁面に映る影絵のようなものに過ぎない現実の世界から、明るい真実の光が差し込んでくるイデアの世界へと魂の視線の向け変えを行っていくことによって、
人間の認識が真なる実在であるイデアの認識へと近づいていくことが可能となるということがことが説かれていると考えられることになるのです。
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次回記事:プラトンのイデア論における現実の世界が悪でイデアの世界を善とする善悪二元論の世界観、『国家』における認識論⑤
前回記事:プラトンの「線分の比喩」における四つの認識の比例関係の図解、直接的認識と間接的認識の間の三重の比例関係、認識論③
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