『2001年宇宙の旅』において描かれる人類の知性と道具の起源と数百万年にも渡る人類の知性と文明の進歩の歴史
前回書いたように、
人間における所有の概念の起源は、旧約聖書の「創世記」においては、最初の人類であるアダムとイブが善悪の知恵の木の実を食した瞬間に求められることになり、
その新たに手にした知恵を用いてアダムとイブの二人がはじめて行った行為が、自らの体を覆うために使用する衣服の製作と所有であったと考えられることになります。
そして、
狩猟などに用いる武器や調理器具、食器などと同様に、自分の体を保護して外敵から身を守るために用いられる衣服についても、それを道具の延長線上にあるものとして捉えることができるとするならば、
そうした人間における道具の所有の起源の物語については、前回取り上げた旧約聖書だけではなく、
例えば、1968年にアメリカで公開された映画『2001年宇宙の旅』における冒頭のワンシーンにも、その起源の本質を端的に表すような物語が描かれていると考えられることになります。
『2001年宇宙の旅』における人類の知性と道具の起源の物語
アメリカ映画界の巨匠スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)とイギリスのSF作家アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)によって製作された20世紀を代表するSF映画である『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)の冒頭のシーンでは、わずか10分ほどの短い時間の中で、
人類がただ野生の本能のままに生きる動物の状態から、知恵と理性を持った人間へと進化していく姿が印象的な映像と音楽によって表現されていくことになります。
『2001年宇宙の旅』では、人類に対して知恵と理性を授ける役割を担う存在となるのは、旧約聖書におけるような善悪の知恵の木の実ではなく、天上の世界から地上へと突如現れるモノリス(黒い石板)とされることになるのですが、
いずれにせよ、その神のような存在から与えられたモノリスの力によって知恵と理性を手にすることとなった最初の人類は、
動物の骨が散らばっている荒れ地の中で、自分が新たに手にした力である知恵を使って、自らの右腕にちょうど見合った骨を選び出し、それをこん棒のような道具として用いることを考え出すことになります。
そして、
その骨こん棒を用いることによって自分の腕が生み出す力を増幅することができることを学んだ最初の人類は、
その最初の道具を振るうことによって、自分より大きく力強い獣であるイノシシのような動物をを打ち倒すことに成功し、
さらには、水場を巡って互いに争っていた敵対する猿人たちの群れをも撃退することによって、人類は狩猟と殺戮のための原始的な道具を手に入れることになるのです。
そして次に、
その最初の人類の手によって上空へと力強く放り投げられたこん棒がぐるぐると回転を続けながら画面いっぱいのアップで写し出されると、
次のカットでそのぐるぐると回る骨こん棒の映像が、地球を周回する人工衛星の映像へと切り替わり、このたった一つのカットの切り替わりによって、
最初の人類が自らの知性によって最初の道具を生み出してから、彼らがその知識と技術の増大によって地球上での繁栄だけでは飽き足らずに宇宙へと飛び出すに至るまでの数百万年にも渡る人類の知性と文明の進歩の歴史が一挙に描き出されることになるのです。
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以上のように、
映画『2001年宇宙の旅』における冒頭の猿人たちのシーンでは、天空から現れた黒いモノリスの神秘の力によって知恵と理性を手にすることとなった最初の人類は、
新たに手にした力である知恵を働かせることによって、動物の骨を狩猟において獲物を仕留め、敵対する部族を打ち倒すための道具として用いることを考え出すことになります。
このように、『2001年宇宙の旅』においては、
最初の人類である彼あるいは彼女が、自らの体に生得的に備わった牙と爪によって得られるよりも、より多くの血と肉を得るために、
骨によって作られた狩猟と殺戮のための道具を生み出した瞬間こそが、人類における道具の作製と所有の起源であったと描き出されることになるのです。
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次回記事:人間における所有の概念の起源とアダムとイブと『2001年宇宙の旅』
前回記事:旧約聖書のアダムとイブにおける所有の概念の起源とは?善悪の知恵の木の実がもたらした衣服の製作と所有の起源
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