ウイルスが生物であるか否か?という問いから生命の根本原理への問いの架け橋、生命とは何か?⑧

このシリーズの前回の記事ウイルスは生物か無生物か?乳酸菌が生物でウイルスが無生物である理由で書いたように、

何が生物であるのかを定義づける「自己と外界との境界」「エネルギーと物質の代謝」「自己複製」「恒常性」という生物の四つの定義に基づくと、

ウイルスは「自己と外界との境界」と「自己複製」という二つの要素は満たすのに対して、「エネルギーと物質の代謝」と「恒常性」という残りの二つの要素を満たすことができないという点において、

ウイルスは半身は生物で半身は無生物である存在、すなわち、生物と無生物の中間に位置する存在であると捉えられることになります。

しかし、その一方で、

何が生物を生命あるものとしているのか?すなわち、生物を生物たらしめている生命の根本原理は何か?というより根本的な問題について考えていく視点に立つと、

ウイルスが生物であるか否か?という問いは、生命とは何か?すなわち、上記の四つの生命の要件のうち、どの要素が生物を生命として成り立たせている生命の根本原理にあたるのか?という問いへと直接つながっていくと考えられることになります。

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生物を生命として成り立たせている二つの核心的要素と二つの付随的要素

そして、

上記の四つの生物の定義のうち、どの要素が生物を生命として成り立たせている核心的要素、すなわち、生命の根本原理にあたるのか?という問いについては、

詳しくは生命の三つの定義とは何か?よりシンプルで的確な定義の模索自然現象には存在しない合目的的で必然的な生命に特有の二つの定義とは?の記事で考察したように、

まずは、「自己と外界との境界」と「エネルギーと物質の代謝」という二つの要件については、それらは生物だけに限らず、無生物においてもみることができる要素であると考えられることになります。

自己と外界との境界を持つということは、その存在が「これ」や「あれ」と指し示すことができるような一つのまとまりを持った存在として成立しているということを意味することになりますが、

こうした自己と外界との境界の概念が適用できるのは生物だけに限ったわけではなく、例えば、「この石」や「このビル」というような一般的な無機物人工物などにも広く適用することができる概念であると考えられることになります。

また、もう一方の

エネルギーと物質の代謝という概念は、エネルギーの出入りとともに、物質が古いものから新しい物へと入れ替わっていく連鎖的な化学変化や物理的変化のことを意味する概念ですが、

例えば、古いプレートの消滅と新しいプレートの生成の流れにおいてみられる地球上の地殻変動や、成層圏の上部と下部において分解と生成を繰り返すオゾン分子と酸素分子の連続的な化学反応のサイクルなどにおいても、そうしたエネルギーと物質の連鎖的な変化としての代謝の構造は見いだすことができることになります。

このように、

上記の生命の要件のうち、「自己と外界との境界」と「エネルギーと物質の代謝」という二つの要件は、必ずしも生物だけに当てはまる概念というわけではなく、無生物や人工物にも広く該当しうる概念であり、

それらは、生物である以上自然に満たされてしまう十分条件、あるいは単なる付随的要素でしかなく、生物を生命として成り立たせるために必要不可欠な核心的要素にはあたらないと考えられることになるのです。

・・・

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したがって、

生物を生命として成り立たせている核心的要素、すなわち、生命の根本原理は、はじめの四つの生命の要件から上記の二つの要件を取り除いた残り二つの要素、

すなわち、「自己複製」と「恒常性」という二つの要素のうちのいずれかであると考えられることになります。

そして、

冒頭で挙げた「ウイルスは生物か否か?」という問いについても、

ウイルスが満たしている生命の要件である自己複製の機能と、ウイルスが満たしていない生命の要件である恒常性の機能のうち、

いったいどちらの要素が生物を生物たらしめている核心を担う原理であるのか?という生命の根本原理についての問いと、表裏一体の関係において明らかにされていくと考えられることになるのです。

・・・

次回記事自己複製と恒常性の原理のどちらが生命の根本原理なのか?①引き算によって浮き彫りにされる生命の本質的な定義、生命とは何か?⑨

このシリーズの前回記事:ウイルスは生物か無生物か?乳酸菌が生物でウイルスが無生物である理由、生命とは何か?⑦

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