原子論の二千年におよぶ暗黒時代と近代原子論の萌芽と進展、世界はいくつの元素からできているのか?③
前回書いたように、
エンペドクレスに始まる四元素説は、
アリストテレス哲学における体系化を経ることによって
中世哲学における元素に関する主流学説となっていき、
この時代の西洋における学問全体を支える根本思想にもなっていくのですが、
これに対して、
古代ギリシア哲学におけるもう一方の元素に関する学説であった
デモクリトスらの古代原子論の学説は、
四元素説はまったく違った道を歩んでいくことになります。
デモクリトス死後の二千年におよぶ原子論の暗黒時代
古代ギリシア哲学において、エンペドクレスの四元素説とほぼ同時期に提出された
元素に関するもう一つの有力な学説である
レウキッポスやデモクリトスの原子論の思想は、
その後の古代ギリシア哲学の大成者である
アリストテレスにはほとんど採用されなかったので、
彼らの思想は、この段階で早くも
哲学史における主流思想から排除されてしまうことになります。
そして、
アリストテレスの哲学体系を学問研究上の根本思想として引き継いでいった
中世哲学や、それを基盤とする中世の学問諸分野においても
デモクリトスの古代原子論の考え方は
ほとんど無視されていくことになります。
古代原子論を完成させたデモクリトスが死んだのは
紀元前370年頃、つまり紀元前4世紀と考えられ、
その後、彼の思想を引き継ぐ新たな哲学者や自然学者が現れることは
古代から中世を通じて一切ありませんでした。
そして、
近代において、現代の原子論へと通じる新たな理論が提出されるのは
17世紀に入ってからとなるので、
世界に存在するあらゆる物質は、大きさと形のみを属性として持つそれ以上
分割不可能な究極の単位としての原子(atoma、アトマ)によって構成されるとする
原子論(atomism、アトミズム)の思想は、
その後、長きにわたって忘れ去られてしまうこととなり、
デモクリトスの死後およそ二千年にわたって
原子論における暗黒時代が続いていくことになるのです。
近代原子論の萌芽とロバート・ボイルの粒子説
しかし、
ヨーロッパにおける中世の時代が終わりを告げ、
14世紀のイタリアではじまったルネサンスが
16世紀頃までにヨーロッパ全土へと広がっていくと、
こうした原子論を巡る情勢においても変化が見られるようになっていきます。
ルネサンスにおける、古代ギリシア・ローマの古典思想や古典芸術の見直しを通じた
自由な思想の開花に応じて、
中世を通じて学問全般を支える根本思想となってきた四元素説に対しても
徐々に、疑いの目が向けられることになっていき、
二千年の長きにわたって忘れ去られ、捨て去られ、
黙殺され続けてきた思想である原子論にも
再び光が当てられる兆しが見えてくることになるのです。
近代原子論へと直接つながっていく
元素に関する粒子説の理論は、1661年に、
前回も取り上げた錬金術師としても有名なアイルランドの化学者
ロバート・ボイル(Robert Boyle、1627年~1691年)
によって唱えられることになります。
ボイルは、デモクリトスの古代原子論における原子の定義と同様に、
元素をこれ以上分割不可能な究極の粒子として定義したうえで、
そうした原子としての元素は、
エンペドクレスやアリストテレスの四元素説におけるような
火や水といった自然における漠然とした事物でもなければ、
四つや五つといった少数の種類で汲み尽くされるものでもなく、
それは、実験によってその存在を明確に実証できる要素、すなわち、
近代化学の分野における化学元素であり、
そうした原子としての元素の種類も
少なくとも数十種類以上の多数の種類から構成されると考えたのです。
近代化学における原子の種類としての元素の数
そして、
ボイルに始まる近代原子論における
理論上の予測通りに、
その後の化学および物理学の分野における近代科学の発展の中で、
実験を通じて新たな元素が次々に発見されていき、
19世紀までに、自然界における大部分の物質を構成している
56種類もの元素が発見されていくことになります。
その後も、
実験技術の発展によって、原子同士を衝突させることで新たにより質量の重い元素を
人工的に合成することもできるようになるなど、
新たな元素の発見はさらに続いていき、
現在までに118種類の元素が
実験によってその存在を確認されています。
合成される元素の質量の大きさと
一つの原子としてまとまる安定性の限界との兼ね合いなどから
理論上、原子の種類としての元素の数は
今後も、合計172か173種類程度まで増え続けていく可能性も指摘されてもいますが、
いずれにせよ、
ボイルに始まる近代原子論において、物質を構成する基本単位とされた
原子の種類としての元素の数は、
デモクリトスの古代原子論におけるような
星の数ほどの無数の種類とまではいかないまでも、
エンペドクレスやアリストテレスの四元素説よりはかなり多い
百数十種類から構成されると考えられ、
こうした百種類以上の多数の種類の原子によって
世界に存在するすべての物質が構成されていることが明らかとなったのです。
・・・
以上のように、
古代から中世を通じた四元素説の強大な権威のもとに
二千年の長きにわたってその発展の道を閉ざされてきた古代原子論は、
ルネサンス期以降の近代科学の発展を通じて
近代原子論という新たな形の学説として復活することになったと
考えられるのです。
そして、
近代科学においては、上記のような原子の存在が
物質を構成するそれ以上分割不可能な究極の単位とされましたが、
その後、
現代物理学では、
こうした原子を構成するさらにミクロの世界として
陽子と中性子および電子の世界が、
そして、さらに、
陽子や中性子を構成するクォークや電子が分類されるレプトンなどの
素粒子の世界があることが明らかとなっていき、
こうした素粒子こそが世界に存在するあらゆる物質の最小構成単位であると
されることになるのです。
・・・
このシリーズの前回記事:中世における四元素説の受容と四体液説と錬金術、世界はいくつの元素からできているのか?②
このシリーズの次回記事:世界の究極の構成単位である17の素粒子と4つの種族と2つのグループへの分類、世界はいくつの元素からできているのか?④
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