第三次神聖戦争へのマケドニアの介入と隣保同盟への加盟:トラキアおよびイリュリアとの国境地帯の平定とテッサリアへの進出
前回書いたように、アレクサンドロス大王の父にあたるフィリッポス2世は、サリッサと呼ばれる長大な両手槍を装備したマケドニア式のファランクスの導入や斜線陣と呼ばれる重装歩兵の密集戦術の改良などを通じた軍制改革および戦術改革によってマケドニアを中央集権的な強大な軍事国家へと導いていくことになります。
そして、こうしてマケドニア国内における政治的および軍事的な地盤を着々と固めていったフィリッポス2世は、トラキアやテッサリアといったマケドニアの周辺地域へと勢力を拡大していったのち、ついにギリシア本土の都市国家へと向けて進軍を開始していくことになるのです。
トラキアおよびイリュリアとの国境地帯の平定とテッサリアへの進出
紀元前359年にマケドニアの王として即位したフィリッポス2世は、マケドニア国内における軍事改革と政治改革を進めていったのち、
まずは東方のトラキアとの国境地帯に自らの名を冠したラテン語や英語ではフィリピ(Philippi)、古代ギリシア語ではピリッポイ(Φίλιπποι)と呼ばれる都市の建設を進めていったうえで、
こうして新たに建設されたピリッポイの町を軍事拠点として、近くにあったパンガイオンの金鉱開発と周辺地域への勢力の拡大を図っていくことになります。
そしてその後、マケドニアの北東に位置するトラキアや、北西に位置するイリュリアといった北方の勢力との国境地帯を平定することによって国内へと侵攻する対外勢力の脅威を排除したフィリッポス2世は、
今度はマケドニアの南方に位置するテッサリアへと進出したうえで、その進軍の矛先をさらに南方に位置するギリシア本土の都市国家へと向けていくことになるのです。
第三次神聖戦争へのマケドニアの介入と隣保同盟への加盟
こうして北方においてフィリッポス2世の率いるマケドニア王国の台頭が進んでいた当時に、マケドニアの南方に位置するギリシア本土においては、
テーバイからの圧迫を受けていたフォキスの軍勢がアポロン神殿の聖域があったデルポイへと侵攻したことによって起きた第三次神聖戦争のさなかにあったのですが、
こうした紀元前356年にはじまる第三次神聖戦争における混乱のなか、フォキスと敵対関係にあったテッサリアからの救援要請を受けることになったマケドニアのフィリッポス2世は、
紀元前354年にそうしたテッサリアからの援軍の要請とデルポイの神域を奪還することを口実としてギリシア本土への進軍を開始することになります。
しかし、こうしたマケドニア軍のギリシア本土への進軍と第三次神聖戦争への介入に対して危機感を強くしていたアテナイやスパルタといったギリシア本土の有力諸都市がフォキスに援軍を送っていたこともあって、
フィリッポス2世の率いるマケドニア軍は開戦の初期には苦戦を強いられていくことになるのですが、その後、サリッサを装備したマケドニア式のファランクスを中心とするマケドニアとテッサリアの連合軍が徐々に優勢となり、
紀元前346年にフィリッポス2世の率いるマケドニア軍がフォキスを制圧することによって第三次神聖戦争は終結の時を迎えることになります。
そして、こうした第三次神聖戦争の終結とデルポイの神域からフォキスの軍勢を排除した功績によって、
マケドニアは、神殿や聖域を共同で守護する古代ギリシアにおける都市国家間の古くからの同盟にあたるギリシアの隣保同盟の一員として正式に認められることになります。
そして、こうした第三次神聖戦争への介入と勝利、そして、その後のギリシアの隣保同盟への加盟によって、実質的にアテナイやスパルタやテーバイといったギリシア本土の都市国家と同列の地位にまで昇りつめていくことになったマケドニアを率いるフィリッポス2世は、その後さらに、ギリシア全土における覇権の確立を目指していくことになるのです。