第一次メッセニア戦争によるスパルタ領土拡大と先住民の征服による国有奴隷としてのヘイロタイの成立
前回書いたように、古代ギリシアを代表する都市国家の一つであるスパルタは、古代ギリシアの暗黒時代にあたる紀元前10世紀ごろに、ギリシア人の一派であるドーリア人によって建国されたと考えられるのですが、
こうしたドーリア人たちによってペロポネソス半島の南部のラコニアの地に建設された都市国家であるスパルタは、
その後、もともとこの地に居住していた先住民たちを武力によって征服し、近隣の地域にもその支配を拡大していくことによって、国力を大きく増していくことになります。
スパルタ人による先住民の征服と国有奴隷としてのヘイロタイの成立
そもそも、
スパルタを建国したギリシア人の一派であるドーリア人と呼ばれる人々は、紀元前12世紀ごろにギリシア北方の地域からペロポネソス半島へと南下していくことになり、
もともとペロポネソス半島全体に広がっていた古代ギリシアの先進文明にあたるミケーネ文明の諸都市を次々と破壊して制圧いくことによってミケーネ文明を滅亡を引き起こすことになったと考えられているのですが、
その後、
ペロポネソス半島南部のラコニアの地へとたどり着き、この地に定住して都市国家を築いていくことによってスパルタ人となったドーリア人たちは、
ミケーネ文明の時代からこの地に住んでいた先住民にあたるアカイア人たちを武力によって征服したのち、彼らのことを捕虜として捕えたうえでヘイロタイと呼ばれる国家共有の奴隷として支配していくことになります。
そして、
こうした武力による征服と先住民の奴隷化によってラコニア全体を支配下に置くことになったスパルタ人たちは、
自分たちが征服した土地をクレロスと呼ばれる私有農地として互いに分配し、それぞれの土地を国家共有の奴隷であるヘイロタイたちに耕作させて、収穫の半分を徴収することによって、自分たちは軍事に専念して、さらなる領土の拡大を図っていくことになり、
それに対して、
こうしたヘイロタイと呼ばれるスパルタにおける国有奴隷たちは、代々奴隷身分を引き継いだうえで、土地に縛られて農業に従事していくことになっていったと考えられることになるのです。
第一次メッセニア戦争における領土拡大とスパルタの無法地帯化
そして、その後、
ラコニアの支配を確立したスパルタ人たちは、さらに西方へと領土の拡大を図っていくことになり、紀元前8世紀後半になると、隣国であるメッセニアとの間に起きたいさかいや小競り合いをきっかけとして第一次メッセニア戦争が勃発することになります。
スパルタの西隣に位置する都市国家であったメッセニアは、もともとは、スパルタの建国と同時期に、ドーリア人によって建国された古代ギリシアの都市国家であったと考えられているのですが、
その後、メッセニアにおいては、先住民を奴隷として支配していったスパルタとは異なり、先住民との混血と融合が進んでいくことによって、征服者となったドーリア人たちと、もともとこの地に暮らしていた先住民たちは共に発展していくことになっていったと考えられています。
そして、
こうした第一次メッセニア戦争と呼ばれるメッセニアとスパルタの戦いにおいては、もともとは、スパルタと同じくミケーネ文明を征服したドーリア人の血を引く人々であったメッセニア人の側も善戦していくことになり、
紀元前726年のイトメ山の戦いにおいては、メッセニア軍の軽装歩兵の部隊がスパルタ軍の側面へと回り込んで急襲を仕掛けることによって、スパルタの重装歩兵を敗走させて壊滅状態にまで追い込むことに成功するのですが、
その後、疫病や飢饉に見舞われるといった不運も重なることによって徐々に士気を落としていったメッセニア人たちは、最終的に、スパルタ軍による長期におよぶ包囲戦に屈することによってスパルタに征服されてしまうことになります。
そして、その後、
新たに征服したメッセニア人たちをヘイロタイと呼ばれるスパルタの国有奴隷へと加えると同時に、メッセニアの肥沃な土地を手にすることになったスパルタは、さらに国力を増大していくことになるのですが、
その一方で、
スパルタに征服されて奴隷の身分へと貶められることになったメッセニア人たちの側もそのままスパルタの支配のもとに屈服し続けていたわけではなく、
第一次メッセニア戦争が終結してから60年ほどの時が過ぎた紀元前660年ごろになると、スパルタに対して反旗を翻したメッセニア人たちによって第二次メッセニア戦争が引き起こされることになり、
スパルタ人たちは、20年にもわたる激しい戦いの末に、こうしたメッセニア人たちの反乱を鎮圧して、何とかメッセニア全土をスパルタの支配下へと置くことに成功することになります。
しかし、その一方で、
こうした長年にわたる戦争による疲弊などによって、スパルタの国内においては、私有農地が少数の富裕者たちだけに集中するなど貧富の格差が広がっていくことになり、
私有農地を失って重装歩兵として従軍するために必要な武器や防具を自分の財産でそろえることができなくなった困窮者たちも続出していくことになります。
そして、
そうした市民たちの不満や社会不安が高まっていくなか、第二次メッセニア戦争が起きたのと同じ紀元前7世紀ごろの時代になると、
スパルタ国内は、一時、無法地帯に近いような状態にまで治安が悪化していくという社会混乱の危機に直面していくことになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:ヘイロタイとペリオイコイの違いとは?国家共有の奴隷農民であるヘイロタイと劣格市民あるいは半自由民としてのペリオイコイ
前回記事:スパルタの建国と古代ギリシア神話におけるヘラクレスの子孫のペロポネソス半島への帰還の物語
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