スパルタの建国と古代ギリシア神話におけるヘラクレスの子孫のペロポネソス半島への帰還の物語

ギリシア人の一派であるアカイア人たちによって築かれたギリシア人を担い手とする最古の文明にあたるミケーネ文明は、彼らとは別のギリシア人の一派であるドーリア人の侵入によって滅亡することになるのですが、

その後、ギリシア本土からペロポネソス半島へと侵入してその土地に定住していくことになったドーリア人たちは、この地においてスパルタメッセニアなどに代表される数多くの都市国家を建設していくことになります。

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ドーリア人によるスパルタの建国と古代ギリシアの暗黒時代

スパルタとアテナイなどのその他の古代ギリシアの都市国家との位置関係

冒頭でも述べたように、

ペロポネソス半島の南部に位置する古代ギリシアの都市国家であったスパルタは、ギリシア人の一派であるドーリア人またはドーリス人と呼ばれる人々によって建国された都市国家であったと考えられることになるのですが、

こうした都市国家としてのスパルタを建設していくことになるドーリア人たちは、もともと、ギリシア北方マケドニアに近い山岳地帯などに居住していたと考えられていて、

そうした北方の地域に居住していたギリシア人の一派であるドーリア人たちは、紀元前1200年ごろに南方への民族移動を開始していくことになります。

そして、

ペロポネソス半島へと新たに侵入していくことになったドーリア人たちは、高度な工芸技術文字文化を有するミケーネ文明を築いていたアカイア人たちとは異なり、文明の段階としては文字文化すら持たない未開の状態に近かったものの、

青銅器文明に属するミケーネ文明に対して、金属器の鋳造という点ではすでに鉄器文化の段階に達していたドーリア人たちは、

自らが持つ鉄製の武器を利用することによってアカイア人たちが築いていたミケーネ文明の諸都市次々に破壊し、ペロポネソス半島全土武力によって制圧していくことになります。

そして、その後、

こうしたドーリア人の侵入によってミケーネ文明が崩壊したのち、古代ギリシア世界においては400年間にもおよぶ文字がなく文書記録も存在しない暗黒時代が続いていくことになるのですが、

そうした古代ギリシア暗黒時代のまっただ中にあたる紀元前10世紀頃の時代になると、ドーリア人たちの一部がペロポネソス半島の南部に位置するラコニアと呼ばれる肥沃な平野へと集住して村落を形成していくことになり、

その後、

周辺の地域武力で制圧していくことによって築き上げていくことになったのがこうしたスパルタと呼ばれるドーリア人によって建国された古代ギリシアの都市国家であったと考えられることになるのです。

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スパルタの建国神話とギリシア神話におけるヘラクレスの子孫の帰還の物語

しかし、その一方で、

スパルタの建国神話においては、こうした実際の歴史におけるドーリア人によるスパルタ建国とはだいぶ異なった物語が伝えられていて、

そこでは、スパルタを建国した彼らの父祖たちの起源は、

ネメアの獅子やクレタの牡牛、アマゾンの女王や地獄の番犬ケルベロスとの戦いといった十二の功業(リ:ヘラクレスの十二の功業とは?①)などで知られるギリシア神話最大の英雄であるヘラクレスとその子孫たちのペロポネソス半島への帰還の物語に求められることになります。

ギリシア神話の物語においては、

主神ゼウスミケーネの王女アルクメネとの間に生まれた半神半人の英雄であったヘラクレスは、十二の功業を成し遂げたのち、トロイアやエリス、ピュロスやテゲアといったギリシア各地の有力都市を次々に武力によって制圧していくことによって、

ペロポネソス半島を中心とするギリシア世界の盟主としての地位にまで昇りつめていくことになるのですが、

ヘラクレスの死後彼の息子たちは、自らが持つミケーネの王位が脅かされることを恐れたエウリュステウス王から迫害を受けることによって、ギリシア各地をめぐる逃避行の旅へと赴いていくことになります。

そして、その後、

ヘラクレスの息子たちは、自分たちのことを迫害してきたミケーネの王エウリュステウスと戦いその首をはねて両目をえぐり取ることによって迫害への復讐を果たすことになるのですが、

その後も、度重なる神託の言葉の誤解や行き違いなどによって、ヘラクレスの子孫たちは長い間、自らの父祖の地であるペロポネソスへと帰還することを阻まれ続けていくことになります。

そして、最終的に、

ヘラクレスの孫の孫、すなわち、玄孫(やしゃご)の代にあたるテーメノスクレスポンテースアリストデーモス三兄弟の代において、ついに彼らは約束の地であるペロポネソスへの帰還を果たすことになり、

その後、

ペロポネソスの地においては、こうしたヘラクレスの子孫を始祖とするアルゴス王家スパルタ王家メッセニア王家という三つの王家が分立していくことになったと語り伝えられていくことになるのです。

・・・

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