ミレトスの建設とミケーネ文明滅亡後のイオニア人による再建そしてアテナイへと続く古代ギリシア哲学の系譜

前回の記事で書いたように、古代ギリシアの植民時代とも呼ばれる紀元前8世紀頃に始まる前古典期の時代においては、

アテナイスパルタテーバイミレトスといったギリシア世界各地の都市国家からエーゲ海を越えて地中海世界全体へと大規模な植民活動が進められていくことにります。

そして、こうした前古典期とその後に続く古典期のギリシアを代表するギリシア人都市国家のなかでも、比較的早い時期に栄えていくことになったのは、

ギリシア本土から見てエーゲ海をはさんだ対岸に位置するアナトリア半島イオニア地方と呼ばれる地域に建設されたギリシア人の植民都市群であったと考えられ、

そのなかでも、特に繁栄を極めた都市国家としては、最初の哲学者としても知られるタレスを生んだことで有名なギリシア人都市国家であるミレトスの名が挙げられることになります。

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植民都市ミレトスの建設とミケーネ文明滅亡後のイオニア人による再建

ミレトスとギリシア本土の諸都市との位置関係

そうすると、まず、

現在のトルコが位置するアナトリア半島の南西部にあたるイオニア地方に位置する古代都市であったミレトスは、

もともとは、古代ギリシアの青銅器時代の文明にあたるミケーネ文明が栄えていた紀元前15世紀頃の時代にはすでに建設されていた古い起源を持つギリシア人の植民都市であったと考えられることになります。

そして、その後、

こうしたギリシア人によって築かれた最古の文明にあたるミケーネ文明が系統不明の民族集団である海の民による襲撃と、ミケーネ文明を築いたアカイア人とは別のギリシア人の一派であるドーリア人の侵入を相次いで受けることによって滅亡の時を迎えることになると、

そうしたミケーネ文明の滅亡とほぼ同じ時期にあたる紀元前12世紀頃に、エーゲ海の沿岸に位置していた植民都市ミレトスも、海の民の襲撃に遭うことなどによって破壊されてしまうことになります。

しかし、その後、

ドーリア人の侵入によってギリシア本土ペロポネソス半島から追い出されてエーゲ海を渡っていったアカイア人たちの一部がイオニア地方へとたどり着くことによってイオニア人と呼ばれるようになると、

そうしたイオニア人と呼ばれるようになったギリシア人たちの手によってイオニア地方における都市の再建が進められていくことになります。

そして、

古代ギリシアの暗黒時代が終わる紀元前8世紀頃になると、こうしたイオニア地方のギリシア人都市国家の一つであったミレトスは、ミケーネ文明が栄えていた青銅器時代以上の繁栄を極めていくことになり、

こうした紀元前8世紀~紀元前6世紀頃まで続いていく古代ギリシアの植民時代とも呼ばれる前古典期の時代全体を通じて、

ギリシア人都市国家としてのミレトスにおいては、アテナイスパルタなどといったギリシア本土の都市国家よりもさらに大規模な植民活動地中海世界全体へと向けて展開していくことになるのです。

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ミレトスからアテナイへと続く古代ギリシア哲学の系譜

そして、

こうしてイオニア人の手によって再建されたギリシア人都市国家であるミレトス出身代表的な人物としては、

ギリシア七賢人の一人にも数え上げられていて、のちにアリストテレスによって古代ギリシアにおける最初の哲学者として讃えられることになるタレスの名が挙げられることになります。

紀元前624年頃ミレトスに生まれたとされているタレスは、諸国を遍歴していくなかで、エジプトギザのピラミッドの高さを、影の長さとの比によって割り出したと伝えられているほか、

哲学者としてのタレスは、世界の始まりにしてすべての根源にある存在は何なのか?という哲学的な問いを自ら立てたうえで、その問いに「万物の始原は、水である」と答えたとされていて、

こうしたタレスを祖とするミレトス学派と呼ばれる古代ギリシアにおける最初の哲学の学派においては、アナクシマンドロスアナクシメネスという二人の代表的な哲学者たちが続いていくことになります。

そして、その後、

こうしたミレトスの哲学者であったタレスを源流とする古代ギリシア哲学の流れは、最終的に、ソクラテスプラトンアリストテレスというアテナイの三人の哲学者たちの思想においてその最盛期を迎えることになると考えられるのですが、

こうした都市国家としてのミレトスの建設の担い手となったギリシア人の一派であるイオニア人たちのなかには、エーゲ海を越えてイオニア地方へと渡らずにギリシア本土にとどまった人々もいて、

そうしたギリシア本土にとどまったイオニア人によって建設された都市国家の一つとしてアテナイの名も挙げられることになります。

つまり、そういった意味では、

こうした古代ギリシア哲学における出発点となった都市であるミレトスと、一つの終着点になった都市とも言えるアテナイには、どちらもイオニア人の手によって築かれた都市国家であるという大きな共通点を見いだしていくことができると考えられることになるのです。

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次回記事:スパルタの建国と古代ギリシア神話におけるヘラクレスの子孫のペロポネソス半島への帰還の物語

前回記事:古代ギリシアの代表的な八つの植民都市の位置関係とフェニキア人からギリシア人へと続く地中海における植民活動の歴史の流れ

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