スペイン風邪の起源はスペインではないのになぜスペイン風邪と呼ばれるのか?戦時検閲とウイルスの強毒化という二つの理由
前回の記事で書いたように、1918年~1919年の2年間にわたって人類の歴史上における最大規模のパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は、
その名がつけられたスペインではなく、カンザス州を中心とするアメリカの中西部において最初の流行が始まったと考えられていて、
さらに、そうしたスペイン風邪の病原体となった鳥インフルエンザに起源を持つH1N1亜型のインフルエンザウイルスについても、
有力な仮説としては、アメリカと中国というヨーロッパから遠く離れた二つの大国のうちのいずれかにその大本の起源が求められることになると考えられることになるのですが、
それでは、こうしたスペイン風邪と呼ばれる感染症の起源そのものは、スペインとは無関係であると考えられるにもかかわらず、なぜスペイン風邪と呼ばれることになってしまったと考えられることになるのでしょうか?
フランスでのスペイン風邪のウイルスの強毒株への変異とヨーロッパ全土から世界中への流行の拡大
そうすると、まず、
1918年の3月ごろにカンザス州などのアメリカの中西部を中心に最初の流行が始まったと考えられるスペイン風邪は、
その後、第一次世界大戦に参戦したアメリカ軍の兵士たち共に大西洋を渡ってヨーロッパ大陸へと到達することになり、
1918年の5月~6月ごろにかけて、まずは、アメリカと同じ連合国の側の陣営にあたるイギリス軍やフランス軍の間で大きく感染を拡大していくことになります。
そして、その後、このウイルスは、
連合国の敵方の陣営にあたるドイツやオーストリアやイタリアといった国々においても次々に感染を広げていくことになるのですが、そうしたさなか、このウイルスは、
1918年8月ごろにフランス西部の港湾都市であったブレスト近郊においてより致死率の高い強毒株へと変異したと考えられていて、
こうした強毒化したスペイン風邪のウイルスは、
第一次世界大戦の主戦場の一つともなっていたフランスから母国へと帰還した兵士たちを通じてイギリスやアイルランド、さらには、アメリカにも逆輸入されていく形でさらにヨーロッパ全土から世界中へと流行を拡大していくことになっていったと考えられることになるのです。
戦時検閲による情報統制とウイルスの強毒化のタイミングという二つの理由
そして、
こうしてヨーロッパ全土において強毒化したウイルスによる感染の拡大が進行してくさなか、このウイルスはついに、1918年11月ごろにフランスの隣国にあたるスペインにも到達することになるのですが、
第一次世界大戦において中立国としての立場を守っていたスペインでは、
自国に不利な情報が敵国の陣営へと伝わることがないようにするために戦時検閲による厳しい情報統制が敷かれていたイギリスやフランス、ドイツやイタリアといった参戦国とは異なり、
自国民や近隣諸国に対して比較的自由に感染拡大の状況が公開されていくことになっていったと考えられることになります。
つまり、このように、
スペインにおいて感染が拡大していくことになったのは、ちょうどこのウイルスが強毒化した直後の2018年の秋の時期にあたり、
第一次世界大戦の中立国であり戦時検閲による情報統制が行われていなかったスペインでは、そうした強毒化したウイルスによる国内での感染拡大の深刻な状況が隠されることなく世界中へと伝えられていったことから、
このウイルスが最初に流行したアメリカでも、強毒化したウイルスが最初に確認されたフランスでもなく、感染拡大の状況が最初に公開されたスペインの国名と共に、この感染症の情報が世界中へと広がっていくことになっていったと考えられることになるのです。
そして、以上のように、
①第一次世界大戦中の戦時検閲による情報統制
②ウイルスの強毒化のタイミング
という二つの要因が重なってしまったことによって、
この感染症の病原体となったウイルスの起源そのものはスペインとは無関係であるにもかかわらず、この感染症の名称がスペイン風邪という名前で呼ばれることになっていったと考えられることになるのです。
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次回記事:スペイン風邪の死者はどの国が一番多かったのか?ヨーロッパとアジアの国々における死者数の比較
前回記事:スペイン風邪の起源とは?アメリカと中国という二つの大国を大本の起源とする二つの仮説と病原体の正体
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