スペイン風邪の死者はどの国が一番多かったのか?ヨーロッパとアジアの国々における死者数の比較
1918年~1919年の2年間にわたって人類の歴史上における最大規模のパンデミックを引き起こしたスペイン風邪は、その名前の由来からも分かる通り、
イギリスやフランス、ドイツやイタリアそしてスペインといったヨーロッパ諸国を中心に感染を拡大していったというイメージが強いと考えられますが、
こうしたスペイン風邪と呼ばれるインフルエンザウイルスを病原体とする感染症のパンデミックは、イギリスやフランスといったヨーロッパの国々よりも、
実際には、インドや中国さらにはイランなどといったアジアの国々においてより多くの死者を出していたと考えられることになります。
ヨーロッパとアメリカにおけるスペイン風邪の死者数の推計
そうすると、まず、
こうしたスペイン風邪と呼ばれる1918年~1919年の2年間にわたって世界中で猛威を振るったH1N1亜型のインフルエンザウイルスを病原体とする呼吸器系の感染症の世界全体の感染者数と死者数については、諸説あり、
感染者数については、5億~6億人
死者数については、1700万人程度であるとする推計から1億人にもおよぶとする推計まで様々な推計値が示されているのですが、
そうした様々な推計値を踏まえると、
1918年~1919年のスペイン風邪の流行においては、世界全体でだいたい平均して5000万人ほどの死者が発生したと推定することができると考えられることになります。
それでは、はじめに、
こうしたスペイン風邪のヨーロッパ地域での流行を見ていくと、
フランスの40万人、イギリスの25万人などを筆頭に、ヨーロッパ全土において合計で230万人もの死者が発生することになったと推計されることになります。
そして、
こうしたヨーロッパ地域でのスペイン風邪の流行においては、第一次世界大戦に参戦していた兵士たちの間で深刻な感染が広がっていったと考えられていて、
そうした戦時中における軍隊の内部でのスペイン風邪の感染拡大が1918年11月に終戦を迎えることになる第一次世界大戦の終結を早める一因となったとも考えられているのです。
インドや中国やイランなどのアジア地域でのスペイン風邪の死者数の推計
そして、その一方で、
スペイン風邪こうした第一次世界大戦による戦争の影響を直接的にはあまり大きく受けていなかったアジア地域においても大きな流行を引き起こしていくことになり、
特に、3億人の人口を抱えていたインドにおいては、全人口の5%を超える1700万人もの死者が発生したと推計されています。
そして、それに対して、
インドを超える5億人の人口を抱えていた中国でも、インドと比べると致死率は大きく下がるものの、もともとの人口が非常に多かったため、400万人程度というインドに継ぐかなり大きな死者数が発生したと見積もられているほか、
日本においても、5500万人の人口に対して39万人もの死者が発生したと推計されています。
そして、その他にも、
こうしたアジア地域におけるスペイン風邪の流行においては、イランにおける致死率が非常に高かったという記録も残されていて、
当時のイランの人口にあたる1000万人の10%以上にものぼる100万人以上の死者が発生したとする推計も示されています。
また、
こうしたヨーロッパやアジア以外の世界の各地におけるスペイン風邪の流行についても触れておくと、
例えば、
アメリカとカナダではそれぞれ50万人ほどの死者、
ブラジルでは30万人ほどの死者、
オーストラリアでは12万人ほどの死者、
ニュージーランドでは1万人ほどの死者、
アフリカのガーナにおいては10万人以上の死者
が発生したという推計が示されています。
スペイン風邪はヨーロッパではなくアジアでより多くの死者を出していた
そして、以上のように、
1918年~1919年の2年間にわたって世界中で猛威を振るったスペイン風邪の流行においては、
ヨーロッパ地域の流行では、
フランスの死者は40万人、イギリスの死者は25万人と推計されていて、ヨーロッパ全体でも死者の数は合計で230万人ほどにとどまるのに対して、
アジア地域の流行では、
世界で最大のスペイン風邪の死者数を出したインドの1700万人を筆頭に、中国の400万人、そして、イランの100万人というように、
アジア全体においてヨーロッパ全体の10倍以上にもよぶ死者が発生していたと考えられることになるのです。
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