記憶喪失になった人は記憶を失う前の元の人物と同じ人間であると言えるのか?記憶を超えて維持される根源的な自己の同一性
前回の記事で書いたように、脳に蓄積されていくことになる記憶の同一性のみによって自己の同一性が保たれていると考えた場合、
そうした自己の同一性の根拠として捉えられた記憶の総体というものが時の流れと共に新しい記憶が積み重ねられていくにつれて大きく変化していってしまうことになることから、
こうした一人の人間としての自己の同一性の根拠を脳の内部に蓄積されていくことになる情報の同一性としての記憶の同一性のうちにのみ求めるという考え方は、必ずしもうまくは成立しないと考えられることになります。
そして、
こうした人間の脳の記憶と自己の同一性とをめぐる議論からは、そうした自己の同一性の根拠の一つとなる記憶を失ってしまった人間における自己の同一性の問題、
すなわち、記憶喪失になった人間は記憶を失う前の時点における元の人物と同じ人間であると言えるのか?といった問題も浮かび上がってくることになると考えられることになります。
記憶喪失における人格や性格の大きな変化としての自己の同一性の消失
そうすると、まず、
人間の脳に蓄積されている記憶というものは、自分がどのような人間であるのか?というその人物自身の本質を決めていく人格や性格の形成に大きく関わっていると考えられることになるため、
そういった意味では、確かに、
そうしたその人物がこれまでの人生経験のなかで形成してきた固有の人格や性格を決定づける土台となる記憶を失ってしまった場合、
その人物は、記憶を失う前と比べて、周りから見れば、あるいは記憶を失ってしまった当人にとっても、元の人物とは似ても似つかないまったく別の人間になってしまったようにも捉えられてしまうことになると考えられることになります。
記憶の喪失や変化を経ても維持される根源的な自己の同一性の認識
しかし、その一方で、
そうした記憶喪失の状態に陥ってしまった人物の場合でも、例えば、普段の何気ない日常生活のなかで見られる行動の癖や考え方の傾向などのうちに、
元の人物の面影を垣間見ることができるような何らかの形でのその人らしさは残っているとも考えられることになりますし、
仮に、何らかのきっかけでその人物が自分の元の記憶を取り戻した時には、その人物は、やはり、記憶を失っている間の自分も、元の記憶を取り戻した現在の自分と同じ人間であると当然のように認識することになると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
確かに、それぞれの人間の本質と深い関わりのある人格や性格といった性質は、そうした人格形成や性格形成の土台にある脳の記憶と強い関連性があるため、
記憶喪失などによって記憶の内容に大きな変化が加えられた場合には、そうしたその人自身の本質としての人格や性格の内にも別人と思えるほどの大きな変化が生じていってしまうことになると考えられることになりますが、
その一方で、
そうした記憶の喪失や記憶内容の大きな変化を経てもなお、何らかの形で自己の同一性の認識というものが維持されていくと考えられる以上、
そうした根源的な意味における自己の同一性というものは、脳の内部に蓄積されていくことになる単なる記憶のうちにおいてではなく、
そうした記憶の保持や想起などといった働きを含む脳の機能や心の機能としての意識や思考の働きそのものの内にその大本の土台となる根拠を求めていくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:自己の同一性を成り立たせている根源的な原理としての自己意識の機能と脳細胞の同一性や記憶の同一性との関係
前回記事:記憶の連続性に基づく自己の同一性の規定と脳の内部に蓄積されていく情報の同一性としての記憶の同一性の定義
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