プラトンの想起説(アナムネーシス)とは何か?知の探究から魂の不死へとつながる壮大な世界観へと通じる思想
前回までの一連の記事では、
プラトンの初期対話篇『メノン』や中期対話篇『パイドン』における想起説とイデア論、そして魂の不死をめぐる一連の議論の流れを追っていくことで、それぞれの対話篇において語られている想起説の内容について詳しく考えてきました。
それでは、こうした『メノン』や『パイドン』における想起説についての記述をまとめて解釈すると、
プラトンの哲学思想における想起(アナムネーシス)と呼ばれる概念とは、一言でいうとどのような概念であると考えられることになるのでしょうか?
『メノン』における自発的な知性の働きとしての想起
想起(anamnesis、アナムネーシス)とは、
プラトンによって書かれた対話篇である『メノン』や『パイドン』において提示されている知性の働きのあり方のことを示す概念ですが、
このうち、初期対話篇の後期に位置づけられる『メノン』の議論においては、
「探究するとか学ぶとかいうことは、全体として想起することに他ならないのだ。」(プラトン『メノン』81D)
という言葉によって、想起(アナムネーシス)と呼ばれる概念についての議論の総括がなされています。
つまり、
一般的には学びや学習といった言葉で呼び慣わされている知の探究とは、誰かから一方的に知識を教えられるといった受動的な働きによってもたらされるものではなく、
人間が自分自身の魂の奥底に眠っている真理を、知性の自発的な働きによって自分自身の手で見いだしていくことによって進められていくべきものであり、
そうした魂の内なる真理を自分自身の知性の力によって思い出し、再把握するという人間の魂における自発的な知性の働きこそが、
想起(アナムネーシス)と呼ばれる知性の働きの本質的な作用であると考えられるということです。
『パイドン』におけるイデアの存在と魂の不死へと通じる想起説の議論
そして、『メノン』が書かれてから、およそ数年から十年程度のちに書かれたと考えられる著作である中期対話篇の『パイドン』の議論においては、
そうした人間の魂における自発的な知性の働きとしての想起が、様々な経験をきっかけとした連想を通じて向かう最終的な行き先は、
「等しさそのもの」や「美そのもの」といった普遍的な観念であるイデア(idea)と呼ばれる観念の内へと求められることになります。
つまり、
人間の魂の内には、「美そのもの」や「善そのもの」といったイデアについての知が予め備わっていて、
現実の世界における様々な経験をきっかけとして、そうした自らの魂の内なるイデアについての知が想起されることによって、人間の知性におけるあらゆる認識が成立していると考えられるということです。
そして、『パイドン』においては、
そうした普遍的で永遠なる観念であるイデアについての知を有する主体である人間自身の魂自体もまた永遠なる存在であると捉えられることによって、
自らの魂の内なるイデアについての知を思い出し、再把握するという人間の知性における想起の働きによって、
人間における魂の不死までもが根拠づけられるというより踏み込んだ形で想起説についての議論が展開されていくことになるのです。
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以上のように、プラトンにおける想起(アナムネーシス)とは、一言でいうと、
自らの魂の内なるイデアについての知を思い出し、再把握するという人間の魂における自発的な知性の働きのことを意味する概念であると考えられることになります。
そして、プラトンの『メノン』と『パイドン』の議論において提示されている想起説とは、
学びや学習といった知の探究のあり方から、イデアと呼ばれる普遍的で永遠なる観念の存在、そして、究極的には、人間の魂の不死といった思想をも根拠づけることになる壮大な広がりをもった世界観へと通じる思想であると考えられることになるのです。
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