オリンピア祭の古代ギリシア神話における由来とは?①エリスの英雄ペロプスの復活と新天地ギリシアへと走る有翼の戦車
前回の記事で書いたように、歴史上の記録においては紀元前776年にはじまったとされる古代オリンピックの起源となったオリンピア祭は、
さらに、その大本となる起源を、そうした歴史上の記録が存在するはるか以前の神話の時代にまでさかのぼっていくことができると考えられることになるのですが、
それでは、
こうした古代ギリシアにおけるオリンピア祭の由来は、具体的には、ギリシア神話におけるどのような物語のうちに、その大本の起源を見いだしていくことができると考えられることになるのでしょうか?
シピュロスの王タンタロスの息子殺しの罪とタルタロスにおける永遠の罰
そうすると、まず、
こうしたギリシア南部のペロポネソス半島に位置するエリス地方における古代都市の一つであったオリンピアにおいて行われていたオリンピア祭の起源として位置づけられるギリシア神話の物語のなかでも最も有名な物語としては、
そうしたオリンピア祭が開催されていた古代都市にあたるオリンピアの英雄としても位置づけられているエリスの英雄ペロプスの復活と王女ヒッポダメイアへの求婚の物語が挙げられることになります。
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のちに、エリスの英雄とも呼ばれることになるペロプスは、
現在のトルコが位置するアナトリア半島の北西部に位置するリュディア地方のシピュロスの王であったタンタロスの息子として生まれることになるのですが、
人間の身でありながら、ギリシア神話の主神にあたるゼウスの親しい友として神々との交流を深めていたタンタロスは、
ある時、神々の宴のために最高の貢ぎ物を捧げようとして、自らの息子であったペロプスを殺してしまい、その身体を切り刻んで神々の饗宴の糧として捧げようとすることになります。
しかし、
こうした一連の顛末を目にしていた神々は、タンタロスの貢ぎ物を喜ぶどころか、そのおよそ人の子の親であるとは思えない残酷な所業に怒り狂い、
タンタロスのことを地獄の奈落の底にあたるタルタロスへと落としてしまい、彼は、この地で自らの子殺しの罪を償うために、永遠にやむことのない飢えと渇きに苛まれ続けるように定められてしまうことになるのです。
ペロプスの復活と新天地ギリシアへと走る有翼の戦車
そして、
こうした善良で柔和な仮面をかぶった残酷な父親によって苦しめられ、命を奪われてしまうことになったペロプスのことを不憫に思った神々は、何とか彼のことを生き返らせてあげることはできないかと思案を重ねていくことになり、
その後、
タンタロスの手によってバラバラに切り刻まれたペロプス身体は、運命の女神であるクロートーが紡ぐ運命の糸によってつなぎ合わされ、
そうしてできた神々によって造られた新たな身体に、生命と大地の女神であるレアが命の息吹を吹き込むことによって、
ペロプスは、かつて人の子として生まれた時よりもはるかに美しい神々の手によって造られた完璧な美を備えた輝くばかりの美少年としてこの世に復活することになります。
そして、
こうして神々の手によって新たに命を与えられたペロプスは、その美しさを愛でた海の神ポセイドンによって彼の馬を引く従者として迎えられ、
その手には、海をも走り抜けていくことができる翼の生えた不死の馬が引く黄金の戦車が与えられることになります。
そして、その後、
人々が暮らす地上の世界へと戻り、自らの父であったタンタロスの後を継いでシピュロスの王の座に就くことになったペロプスは、
当時こうしたアナトリア半島の北西部にあたるリュディア地方において勢力を拡大しつつあったトロイア王国との争いを避けて、
ポセイドンによって与えられた有翼の戦車に乗ってエーゲ海を越え、のちにペロポネソス半島と呼ばれることになるギリシアの地へと降り立つことになるのですが、
詳しくは、次回の記事で書いていくように、
こうしてギリシアの地へとたどり着いたペロプスは、この地で、エリス地方のピーサの王女であったヒッポダメイアと出会うことによって、
オリンピア祭の起源としても位置づけられることになるギリシア神話における新たな物語がはじまっていくことになると考えらえることになるのです。
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次回記事:英雄ペロプスの王女ヒッポダメイアへの求婚と戦の神アレスと海の神ポセイドンの戦車競走、オリンピア祭の古代ギリシア神話における由来②
前回記事:古代オリンピックを最初に主催した人物とは?古代ギリシアのオリンピア祭の起源を神話の時代にまで遡ることができる理由
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