十二支と二十四節気の対応関係とは?日本および中国古来の二つの暦の区分のあり方における具体的な対応関係
前回までの十二支についての一連の記事のなかで書いてきたように、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二の動物たちに象徴される十二支の起源は、
古代中国において用いられていた十二辰と呼ばれる天球上における十二の領域の区分のあり方にその大本の起源を求めていくことができると考えられ、
そうした十二支(じゅうにし)や十二辰(じゅうにしん)と呼ばれる天球上の十二の領域の区分のあり方は、現代の日本において広く用いられている12年で一周する年まわりのことを意味するイメージのほかにも、
東西南北の方位や、1月から12月までの十二の月とも対応関係が結ばれていたと考えられることになるのですが、
日本や中国の暦において古くから長きにわたって用いられてきた暦の区分のあり方としては、こうした十二支や十二辰のほかにも、
二十四節気(にじゅうしせっき)と呼ばれる太陽の運行のあり方を基準とする暦の区分のあり方が挙げられることになると考えられることになります。
十二支と二十四節気における一年の暦の区分の間にきれいな対応関係が結ばれていくことになる理由
そうすると、まず、
二十四節気と呼ばれる暦の区分のあり方においては、黄道と呼ばれる天球上における太陽の年周軌道のあり方を基準として、一年の期間が、
立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒
という二十四の節気によって分割されていくことによって、春夏秋冬という四季の区分に基づく季節の移り変わりのあり方が細やかな形で示されていくことになると考えられることになります。
そして、それに対して、
十二支における暦の区分のあり方においては、そうした二十四節気における冬至の日を含む月が十二支の最初の月にあたる子(ね)が司る月として位置づけられたうえで、
そこから一か月ごとにそれぞれの月を司る十二支の動物が順番に交代していく形で十二支に基づく月の配置がなされていくことになると考えられることになるのですが、
その際、
こうした十二支における月の区分のあり方をそのまま現代の暦の日付に当てはめていく形で捉えていこうとすると、旧暦と新暦の場合とで十二支が対応する月が変わっていってしまうことなどから少し対応関係を捉えづらいところがあると考えられることになるのですが、
その一方で、
そうした旧暦や新暦といったそれぞれの暦における月の期間のずれに関わらず、一年における天球上での太陽の運行のあり方に基づいて暦の区分のあり方が定められている二十四節気の場合には、十二支における暦の区分のあり方との間によりきれいな形で対応関係を結んでいくことができると考えられることになるのです。
十二支と二十四節気の具体的な対応関係とは?
それでは、
具体的には、いったいどのような形で、そうした十二支における一年の暦の区分のあり方と二十四節気との間に対応関係を結んでいくことができるのか?ということについてですが、
それについては、上記の図において示したように、
十二支の子が司る月にあたる建子月(けんしげつ)には、二十四節気において冬の季節の中心となる節気にあたる冬至と小寒が位置づけられ、
十二支の丑が司る月にあたる建丑月(けんちゅうげつ)には、二十四節気において冬の寒さが最も厳しくなってからわずかに春の気配が立ちはじめていく節気にあたる大寒と立春が位置づけられ、
十二支の寅が司る月にあたる建寅月(けんいんげつ)には、二十四節気において気候が少しずつ温暖になっていく節気にあたる雨水と啓蟄が位置づけられ、
十二支の卯が司る月にあたる建卯月(けんぼうげつ)には、二十四節気において春の季節の中心となる節気にあたる春分と清明が位置づけられ、
十二支の辰が司る月にあたる建辰月(けんしんげつ)には、二十四節気において暖かな春の雨が大地を潤していってからわずかに夏の気配が立ちはじめていく節気にあたる穀雨と立夏が位置づけられ、
十二支の巳が司る月にあたる建巳月(けんしげつ)には、二十四節気において気候が夏へと向けて暑くなっていくと同時に梅雨入りを迎える節気にあたる小満と芒種が位置づけられ、
十二支の午が司る月にあたる建午月(けんごげつ)には、二十四節気において夏の季節の中心となる節気にあたる夏至と小暑が位置づけられ、
十二支の未が司る月にあたる建未月(けんびげつ)には、二十四節気において夏の暑さが盛りを迎えてからわずかに秋の気配が立ちはじめていく節気にあたる大暑と立秋が位置づけられ、
十二支の申が司る月にあたる建申月(けんしんげつ)には、二十四節気において暑さが落ち着きはじめて気候が少しずつ寒冷になっていく節気にあたる処暑と白露が位置づけられ、
十二支の酉が司る月にあたる建酉月(けんゆうげつ)には、二十四節気において秋の季節の中心となる節気にあたる秋分と寒露が位置づけられ、
十二支の戌が司る月にあたる建戌月(けんじゅつげつ)には、二十四節気において大地に霜が降りていきわずかに冬の気配が立ちはじめていく節気にあたる霜降と立冬が位置づけられ、
十二支の亥が司る月にあたる建亥月(けんがいげつ)には、二十四節気において雪が降りはじめていって本格的な冬の訪れを迎えていく節気にあたる小雪と大雪が位置づけられていくことになると考えられることになるのです。
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