お歳暮の由来とは?御魂祭における見玉の飯の儀式と年中行事としてのお歳暮の習慣との関係

前回の記事で書いたように、日本において親戚恩師あるいは仕事の取引先などといったお世話になった人たちに贈り物をするという年中行事としてのお歳暮の習慣が営まれていく時期にあたる歳暮の期間は、

日本古来暦の区分のあり方に基づくと、正月事始めと呼ばれる1213ごろの時期から、一年の終わりの日にあたる1231大晦日(おおみそか)までの期間として位置づけられることになると考えらえることになるのですが、

それでは、

こうした歳暮と呼ばれる年末の時期において、親戚恩師などといったお世話になった人たちに対して贈り物をするという年中行事としてのお歳暮の習慣が営まれていくようになっていったことには、具体的にどのような由来があると考えられることになるのでしょうか?

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大晦日の晩を中心とする年末の時期に行わる御魂祭における見玉の飯の儀式

そうすると、まず、

歳暮(せいぼ)とは、その言葉自体の意味としては、文字通り「歳(とし)の暮れ」としての一年における年末の時期を意味する言葉であると考えられることになりますが、

日本古来の伝統においては、もともと、一年の終わりの日にあたる1231大晦日(おおみそか)ごろを中心とする年末の時期においては、

御魂祭(みたままつり)、あるいは、魂祭(たままつり)と呼ばれる祖先の霊や死者の魂の供養を行うための祭祀が営まれていたと考えられることになります。

そして、

こうした御魂祭と呼ばれる祖先の霊や死者の魂の祀る行事においては、特に、東北地方関東地方そして中部地方などといった地域を中心に、

そうした大晦日の晩などを中心とする年末の時期に、

それぞれの家ごとに御魂の飯見玉の飯(みたまのめし)などと呼ばれる山盛りの飯または握り飯の上に箸を突き立てたものを用意して、先祖の霊に対する供物として捧げる儀式が営まれていたと考えられることになるのです。

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生見玉としての親戚や両親へと捧げられた米や魚の贈り物の慣習と年中行事としてのお歳暮の習慣との関係

そして、

こうした大晦日を中心とする年末の時期に営まれることになる御魂祭の行事においては、

御霊あるいは見玉としての死者や先祖の霊に対してばかりではなく、生見玉(いきみたま)とも呼ばれることになるまだ生きている自分の親や親戚たちなどに対しても、

感謝の念を込めて餅や塩鯖などといった食べ物を供するという行事が営まれていくことがあったと考えられることになります。

そして、

こうした御魂祭の行事の際に、親や親戚といった年長の親族たちのもとへと持ち寄られていくことになる具体的な食べ者の種類としては、米や餅、あるいは、塩鮭塩鯖塩ブリなどといった魚の干物が多く用いられていたと考えられることになるのですが、

つまり、そういった意味においては、

こうした大晦日を中心とする年末の時期に営まれることになる御魂祭の行事において、生見玉(生御霊)にあたる親戚や両親といった年長の親族たちのもとへと持ち寄られていた米や魚の贈り物の慣習大本の由来となって、

そうした一年の終わりの年末の時期にあたる歳暮の期間において、親戚恩師などといったお世話になった人たちに対して贈り物をするという年中行事としてのお歳暮の習慣が形づくられることになっていったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:お歳暮はいつ頃の時期に送るのが適切なのか?最も無難で適切なお歳暮を贈る時期となぜそう言えるのかの理由

前回記事:歳暮の期間はいつからいつまでなのか?日本古来の暦の区分のあり方に基づく歳暮の期間の具体的な時期についての考察

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