枝の主日と棕櫚の日の由来とは?新約聖書におけるキリストが通る道に敷き詰められたシュロの木の枝についての記述

キリスト教において十字架の死からのイエス・キリストの復活を祝う復活祭までの自らの罪を悔い改めて心身を清めていく神聖なる祈りの期間である四旬節最後の一週間にあたる聖週間受難週と呼ばれる一週間は、

十字架の死をとげることになるイエス・キリストエルサレムに入城した日として位置づけられている「枝の主日」(えだのしゅじつ)あるいは「棕櫚の日」(しゅろのひ)と呼ばれる日曜日からはじまることになるのですが、

それでは、こうしたキリストの十字架の死と復活が象徴されている聖週間最初の日にあたる日曜日は、具体的にどのような聖書における記述からこうした枝の主日棕櫚の日といった呼び名で呼ばれることになっていったと考えられることになるのでしょうか?

スポンサーリンク

「枝の主日」の由来となったマタイによる福音書とヨハネによる福音書におけるキリストのエルサレム入城についての記述

そうすると、まず、

新約聖書のなかで、十字架へとかけられる前のイエス・キリストエルサレム入城についての詳細な記述がなされている箇所としては、

例えば、マタイによる福音書における以下のような聖書の言葉が挙げられることになると考えられることになります。

・・・

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。

「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」…

弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。

「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

(新約聖書「マタイによる福音書」21章1節~9節、新共同訳)

・・・

そして、こうしたマタイによる福音書におけるキリストのエルサレム入城についての記述においては、

エルサレムへとやって来たイエスのことを歓迎して出迎える人々は、その後のキリストの十字架の死を越えた復活へと続いていくことになるキリストの聖なる道をととのえて讃えていくかのように、

自分の服木の枝を道に敷き詰めることによって、イエス・キリストのエルサレム入城を祝う歓迎の意志を示していく姿が描かれていると考えられることになるのですが、

こうしたマタイによる福音書において記されているキリストのエルサレム入城とイエスのことを出迎えにやってきた人々の歓迎の様子については、

ヨハネによる福音書においては、以下のような聖書の言葉として語られていくことになります。

・・・

祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞きなつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。

「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」

(新約聖書「ヨハネによる福音書」12章1節~13節、新共同訳)

・・・

つまり、

こうしたヨハネによる福音書におけるキリストのエルサレム入城についての記述においては、

前述したマタイによる福音書において記されていたイエスのことを歓迎して出迎えに来た人々が持ち寄ってきた木の枝とは、「なつめやしの枝」のようなヤシの木の枝であったということが語られていると考えられることになるのです。

スポンサーリンク

「枝の主日」と「棕櫚の日」という呼び名の具体的な由来とは?

ちなみに、

上述した日本語の新共同訳の聖書において、キリストのエルサレム入城を歓迎して人々が持ち寄った木の枝について「なつめやしの枝」と記されているヨハネによる福音書の箇所は、日本語における口語訳の聖書においては、「しゅろの枝」とも訳されているのですが、

こうした新約聖書マタイによる福音書ヨハネによる福音書における聖書の言葉に基づいて、復活祭の一週間前の日にキリストのエルサレム入城を記念して行われるカトリック教会の礼拝(ミサ)においては、

参列した人々が、そうしたキリストのエルサレム入城を記念して、木の枝を手にとってかざすといった聖別の儀式が行われることになり、そうした聖別の儀式において用いられることになる木の枝の種類としては、

棕櫚(シュロ)棗椰子(ナツメヤシ)といったヤシ科の植物、さらには、オリーブネコヤナギソテツなどの木の枝が用いられることが多いとされることになるのです。

そして、以上のように、

「枝の主日」「棕櫚の日」と呼ばれる復活祭の一週間前の日曜日にあたるイエス・キリストエルサレムに入城を記念する日の呼び名の具体的な由来としては、

上述した新約聖書マタイによる福音書における記述において、キリストのエルサレム入城の際に、イエス・キリストのことを歓迎する人々がキリストが通る道に敷き詰めたとされている木の枝

そして、ヨハネによる福音書において記述のある「しゅろの枝」「なつめやしの枝」といった聖書の言葉に基づいて、

こうした「枝の主日」(えだのしゅじつ)あるいは「棕櫚の日」(しゅろのひ)といった呼び名が用いられていくことになっていったと考えられることになるのです。

・・・

次回記事:聖木曜日と洗足木曜日の由来とは?最後の晩餐でのキリストの愛の証としての洗足式とキリストの体と血としてのパンとブドウ酒

前回記事:灰の水曜日の由来とは?四旬節の最初の日が水曜日となる理由と灰色の十字架の印を信徒の額に描くカトリック教会の儀式

新約聖書のカテゴリーへ

語源・言葉の意味のカテゴリーへ

スポンサーリンク
サブコンテンツ

このページの先頭へ