イエスは金曜日に死んでから三日後に復活したのに復活祭が日曜日に行われる理由とは?数え年の日数の数え方に基づく解釈
キリスト教においては、イエスの十字架の死からの復活を祝う復活祭の前の金曜日がイエス・キリストの受難と死を記念する聖金曜日として位置づけられているように、一般的にはイエスの十字架の死は金曜日であったとされていて、
聖書の記述においては、イエスはそうした十字架の死の三日目あるいは三日後に復活したと書かれているのですが、
その一方で、イエスの十字架の死から復活を祝うキリスト教の祭典であるイースターすなわち復活祭は、金曜日の三日後の月曜日ではなく、二日後の日曜日に行われることになります。
このように、
イエスは金曜日に死んでから三日目に復活したとされているのに、その復活を祝う復活祭が日曜日に行われている理由については、聖書の記述からはどのように解釈していくことができると考えられることになるのでしょうか?
新約聖書におけるイエスの「三日目」と「三日後」の復活についての記述
そうすると、まず、
新約聖書における記述のなかでは、こうしたイエスの十字架の死から復活までの日数については、「三日後」と「三日目」という二つの表現で語られている箇所がみられることになり、
具体的には、例えば、新約聖書の最初の書にあたるマタイによる福音書のなかで語られている以下のような記述のうちに、そうしたイエスの十字架の死から復活までの具体的な日数についての記述を見いだしていくことができます。
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夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。
ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。
「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
(新約聖書「マタイによる福音書」27章57節~66節)
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そして、マタイによる福音書のその後の記述においては、上記の記述の中で、ユダヤ人の祭司長たちが「人を惑わすあの者」と呼んでいたイエス・キリストは、かつて自らが語っていた言葉の通りに、
死者の中から復活して、マグダラのマリアともう一人のマリアすなわち小ヤコブとヨセの母であったマリアと弟子たちの前にその姿を現したのち、再び天へと昇っていき神の右の座へと着かれることになったと語られていくことになるのです。
数え年の日数の数え方による「3日目」と「3日後」の解釈
そして、その一方で、
ルカの福音書などの新約聖書のそのほかの箇所の記述においては、イエスが十字架にかけられたのは安息日の前日にあたる日であると語られていて、その後、安息日の次の日にあたる日にイエスの復活がなされたとも書かれていて、
安息日とは、ユダヤ教やキリスト教において、仕事を休んで礼拝を行う聖なる日として位置づけられている日であり、キリスト教の安息日は日曜日であるとされているのに対して、
イエスとその弟子たちが生きていた時代のユダヤ教の安息日は土曜日であるとされていたため、そうしたルカの福音書などにおける聖書の記述に基づくと、
イエス・キリストは、ユダヤ教の安息日の前日である金曜日に十字架の死を受けたのち、その後、安息日である土曜日をはさんで、さらにその次の日の日曜日に復活したと解釈していくことができると考えられることになります。
以上のように、
こうした一連の新約聖書における記述に基づくと、
イエス・キリストは金曜日に十字架の死を受けたのち、その後の日曜日に復活したと解釈されることになるものの、それと同時に、
そうしたイエスの復活は十字架の死から「三日目」あるいは「三日後」であったという記述もなされていると考えられることになるのですが、
こうした両者の記述を両方とも矛盾なく整合的に解釈していくためには、結局、こうした一連の新約聖書における記述においては、
生まれた年を「1歳」あるいは「1年」として数えていく数え年のような日数の数え方が用いられていると解釈していくことが必要であると考えられることになります。
つまり、
こうした新約聖書におけるイエスの十字架の死から復活についての記述においては、数え年における年数や日数の数え方のように、
イエスが十字架にかけられた金曜日を「1日目」としたうえで、その次の土曜日を「2日目」あるいは「2日後」と数えて、さらにその次の日にあたる
イエスが復活した日である日曜日を「3日目」あるいは「3日後」と数え上げていくことによって、イエスが十字架の死から3日目あるいは3日後に復活したという聖書における記述が成り立っていると解釈していくことができると考えられることになるのです。
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次回記事:イエスは十字架の死から何日と何時間で復活したのか?新約聖書の記述に基づくイエスの死から復活までの正確な時間の算出
前回記事:キリスト教におけるノベナの儀式の由来と古代ローマにおける9を神聖な数とする死者の弔いの儀式との関係
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