デジャブ(既視感)と映画『マトリックス』の黒い猫、世界の構造と人間の認識との間の認識論的転回
デジャブ(既視感)とは、自分にとって未だ経験のない未知であるはずの認識がすでに経験した既知の認識であるように感じられてしまうという認識のあり方のことを意味する概念であり、
それは一般的には、人間の認識における一種のバイアスのようなものとして生じている認知感覚の異常として解釈されると考えられることになります。
しかし、こうしたデジャブ(既視感)と呼ばれる認知感覚のあり方は、
自分たちが生きている現実の世界がコンピュータによって作られた虚構の世界であることを知った主人公ネオが、偽りの世界から人類を解放するためにヒロインのトリニティーや解放軍の船長モーフィアスらと共に戦う物語が描かれている1999年に公開されたアメリカのSF映画である『マトリックス』においては、
こうした人間の認識の側における感覚異常や、単なる錯覚といった通常の理解とは少し異なる形でデジャブ(既視感)という概念が捉え直されていくことになります。
映画『マトリックス』の黒い猫のデジャブと仮想現実のバグ
映画『マトリックス』では、主人公のネオが、トリニティーやモーフィアスたちと共に、コンピュータが創り出したマトリックスと呼ばれる仮想現実空間からの脱出地点を目指して建物の中のらせん階段を上っていく場面が出てきますが、
その場面では、目の前のらせん階段の横の扉のない入口からのぞく通路を、一匹の黒い猫が細かく身震いをしてから尻尾を立てて右から左へと通り過ぎていくのを目にしたネオが、
いったん目を逸らしてから再びその通路に目をやると、さっき見た猫とまったく同じ姿をした黒猫が、細かく身震いしてから尻尾を立てて歩み去るという寸分違わぬまったく同じ動作で右から左へと通り過ぎていく様子を目にして、
“déjà vu(デジャヴー)“とつぶやくシーンが出てきます。
そして、映画『マトリックス』のこのシーンでは、主人公であるネオが目にした黒猫のデジャブは、人間の認知機能の異常や錯覚によって生じている現象ではなく、
それは、
人間が現実の世界だと思い込んでいるこの世界を実際には創り上げ司っているコンピュータが、何らかの目的によって、仮想現実空間であるマトリックスを再構成した時に発生する一種のバグのような現象であると説明されることになります。
映画の中のこの後のシーンでは、コンピュータによって再構成された後の変更を受けた世界で、本来らせん階段の上の部屋にあったはずの脱出口が塞がれてしまい、
その場でネオたち一行は、コンピュータによって送り込まれたエージェントと呼ばれるマトリックスの監視と保全を行う組織からの激しい襲撃を受けることになりますが、
このように、
映画『マトリックス』においては、既知の認識が再び繰り返されるというデジャブ(既視感)と呼ばれる認知感覚は、
人間の認識の側の感覚異常によって生じている現象ではなく、コンピュータが仮想現実空間であるマトリックスの世界を再構成するときに現れる一種のノイズやバグのようなものに起因する現象として捉え直されていくことになるのです。
『マトリックス』における世界の構造と人間の認識との間の認識論的転回
デジャブ(既視感)と呼ばれる現象は、それが人間の認知機能の側のある種の錯覚によって生じているとする一般的な理解に基づくと、
それは、一つの物理的現象に対して何らかの形で同じ認識が二回繰り返されて形成されてしまうという人間の認識の側の認知異常として解釈されることになりますが、
それに対して、
一般の多くの人々が現実の世界だと信じているこの世界が、コンピュータによって創り上げられたマトリックスと呼ばれる仮想空間に存在する偽りの世界であることを既に知っているモーフィアスやトリニティーたちの視点に立つと、
それは、同じ認識が繰り返されるという人間の認識の側に生じる錯覚ではなく、マトリックスと呼ばれる仮想世界の側に生じるエラーやバグのようなものとして解釈されることになります。
つまり、
『マトリックス』の世界においては、デジャブ(既視感)が生じる時には、世界の側のバグとして、実際に同じ出来事が繰り返して現れているのであり、
こうしたデジャブと呼ばれる認知感覚は、モーフィアスたちにとっては、真実に目覚め、偽りの世界から人類を解放しようとしている彼らの活動を阻み、その命を狙おうとするために、
コンピュータによって仮想現実であるマトリックスの世界が再構成されたことを意味する危険な兆候を示すサインとして認識されることになるのです。
そして、そういう意味では、映画『マトリックス』においては、
通常は、錯覚や認知感覚の異常といった人間の認識の側のバグの一種として解釈されるデジャブ(既視感)という概念が、コンピュータが構成しているマトリックスと呼ばれる世界の側のバグとして解釈されることによって、
人間の認識と世界の構造との間の認識論的転回がなされていると捉えることができると考えられることになります。
『マトリックス』においては、デジャブが人間の認知機能や神経回路の側のバグによって生じる現象ではなく、世界を構成するシステムの側のバグとして解釈され、
エラーやバグを起こしているのは人間の認識の側ではなく、世界の構造の側であるという認識論的な転回が行われることによって、
我々が現実の世界だと思い込んでいるこの世界が、実際はコンピュータによって創り上げられた虚構の世界であるとする世界観が、論理的整合性を満たすより現実味をもった形で明らかにされていると考えられることになるのです。
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