渋沢栄一・津田梅子・北里柴三の三人とイギリス・フランス・ドイツのヨーロッパ三か国そしてアメリカとの深い関係とは?

前回の記事では、2024年度上半期をめどに発行されることになった新紙幣のデザインに用いられる肖像画として選ばれることになった渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎という三人の人物は、

「倫理的な生き方と経済発展の両立」「英語教育の発展と女性が活躍する社会の実現」「医学や生命科学を中心とする科学技術の発展」という現代の日本が目指すべき三つの理念を体現しているような人物として捉えることができると書きましたが、

こうした新紙幣の肖像画として新たに選ばれることになった三人の人物は、

イギリス・フランス・ドイツという近代ヨーロッパにおける国民国家と資本主義の確立に主導的な役割を担ったヨーロッパ世界を代表する三か国とも深い関係のある人物としても位置づけられることになります。

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渋沢栄一とフランスとの関係、パリ万博への幕臣としての視察と日本国内への株式会社制度の導入

まず、

こうしたイギリス・フランス・ドイツという近代ヨーロッパ世界を代表する三か国のうち、

新たに発行されることになった新紙幣の筆頭にあたる一万円札の肖像画として選ばれることになった渋沢栄一は、特に、フランスとの関わりが深い人物であると考えられ、

渋沢栄一は、江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜の家臣として仕えていた1867に、フランスのパリで行われた万国博覧会、すなわち、パリ万博幕臣として視察に赴いていて、

その際、フランスを中心とするヨーロッパ各国を訪問していくなかで、近代ヨーロッパの進んだ産業社会のあり方に深い感銘を受け、祖国である日本においても、こうした近代ヨーロッパにおける進んだ産業体制や社会制度を導入していきたいと強く願うようになっていきます。

そして、フランスから日本へと帰国したのち、

明治新政府のもとで大蔵省に入省した渋沢栄一は、その後、フランスで学んだ株式会社制度を日本国内において導入していくなかで、前回の記事でも書いたように、第一国立銀行帝国ホテルといった500社を超える企業の設立に奔走していくことになり、

その働きによって近代日本の経済発展の礎を築いていくことになっていったと考えられることになるのです。

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津田梅子とアメリカおよびイギリスとの関係、ナイチンゲールとの面会と女子英学塾の創立

そして、それに対して、

新紙幣の五千円札の肖像画として選ばれることになった津田梅子は、わずか7にして岩倉使節団に同行してアメリカへと渡り、日本最初の女子留学生となった人物でもあるように、ヨーロッパというよりはアメリカとの関係が深い人物であると考えられることになるのですが、

その一方で、のちに現在の津田塾大学の前身にあたる女子英学塾を創立した人物でもある津田梅子は、ヨーロッパ諸国のなかではイギリスとも深い関わりがある人物でもあったと捉えることができると考えられることになります。

1871年から1882までの11年間と、1889年から1892までの3年間の二度にわたるアメリカでの長い留学生活のなかで、英文学芸術心理学生物学などについて学んだ津田梅子は、

その後、

1899に、再びアメリカを経て今度はイギリスへと渡航したのち、イギリスでの半年という短い留学期間のなかで、

近代看護学の生みの親として名高いイギリスの看護師であり、ロンドンに設立されたナイチンゲール看護学校の創立者でもあったナイチンゲールのもとを訪問する機会を得ることになったほか、

イングランド国教会におけるカンタベリー大主教に次ぐ権威であったヨーク大主教との面会や、オックスフォード大学における講義を聴講といった充実した経験を積み重ねていくことになり、

そうしたアメリカでの長い留学生活の中で培われてきた深い知識と、イギリスでの短い留学生活の中で得られた貴重な体験を経たうえで、

イギリス留学から帰国した直後の1900に、キリスト教精神に基づく人格教育高度の英語教育および英文学への深い理解などを目指す女子英学塾の創立へと至ることになったと考えられることになるのです。

北里柴三郎とドイツとの関係、コッホへの師事と日本国内における予防医学の確立

そして、最後に挙げた、

新紙幣の千円札の肖像画として選ばれることになった北里柴三郎は、特に、ドイツとの関わりが深い人物であると考えられ、

現在の東京大学医学部の前身にあたる東京医学校を卒業した北里柴三郎は、その後、現在の厚生労働省の前身にあたる内務省衛生局へと就職したのち、

1885に、ドイツのベルリン大学に留学して、この地でのちに「近代細菌学の祖」と呼ばれることになる細菌学の大家であったコッホに師事していくことになり、

その後も、

ドイツを拠点として研究を進めていくなかで、1889破傷風菌の純粋培養に成功すると、その翌年には血清療法と呼ばれる破傷風の治療法の開発にも成功するといった業績を積み重ねていくことになります。

そして、その後、

北里柴三郎は、1回ノーベル生理学・医学賞の候補にも挙がることになった血清療法のジフテリアへの応用についての論文で世界的にも高い評価を受けることによって欧米各国の研究所や大学から招聘を受けることになるのですが、

日本国内における予防医学の確立を自らの使命として強く求め続けていたことから、彼は、これらの招聘をすべて固辞したうえで、1892年に日本へ帰国し、

帰国直後の同じ1892に現在の国立感染症研究所の前身にあたる伝染病研究所初代所長となることによって、その後日本国内における予防医学の研究や後に続く人材の育成に大きく貢献していくことになっていったと考えられることになるのです。

・・・

以上のように、

今回、新紙幣のデザインとして新たに用いられることになった肖像画の人物の選定においては、

渋沢栄一は、幕臣として視察に赴いたフランスのパリ万博をきっかけとして、日本国内における近代ヨーロッパの進んだ産業体制や社会制度を導入による近代日本の経済発展を目指していくことになり、

津田梅子は、アメリカでの長い留学生活の中で培われてきた深い知識と、ナイチンゲールとの面会などのイギリスでの短い留学生活の中で得られた貴重な体験を経たうえで女子英学塾の創立へと至ることになり、

北里柴三郎は、ドイツのベルリン大学に留学して、この地でのちに「近代細菌学の祖」と呼ばれることになるコッホに師事していくなかで医学者および細菌学者としての業績を積み上げていくことになったというように、

イギリス・フランス・ドイツそしてアメリカといった近代社会における国民国家の形成や、現代社会にも通じる民主主義資本主義の確立において主導的な役割を担うことになったヨーロッパ世界を代表する国々とも深い関わりのある三人の国際的な人物が選ばれることになったとも捉えることができると考えられることになるのです。

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次回記事:渋沢栄一が設立に関わった代表的な企業とは?全部で30社におよぶ代表的な会社の名前と日本最古の銀行と私鉄の設立

関連記事:渋沢栄一の『論語と算盤』において語られている道徳と経済の両立の真の意味とは?マックス・ヴェーバーの経済思想との関係

前回記事:渋沢栄一・津田梅子・北里柴三という三人の新紙幣の肖像に込められた現代の日本が実現を目指すべき三つの理念とは?

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