渋沢栄一の『論語と算盤』において語られている道徳と経済の両立の真の意味とは?マックス・ヴェーバーの経済思想との関係
前回の記事で書いたように、「日本資本主義の父」あるいは「近代日本経済の父」として有名な渋沢栄一は、
日本最古の銀行である第一国立銀行や、日本初の私鉄にあたる日本鉄道、さらには、帝国ホテルや東京株式取引所(現在の東京証券取引所)といった
日本を代表する大企業を含む数多くの業種にわたる500社を超える企業の設立に参画した近代日本経済の立役者として位置づけられることになるのですが、
こうした日本における資本主義の生みの親でもあるとも言える渋沢栄一は、その並外れた商才や経営手腕によって近代日本における経済発展の礎を築いただけではなく、
倫理的な生き方と経済発展の両立を目指した人物としても位置づけられることになります。
渋沢栄一の『論語と算盤』における道徳と経済の両立の思想
渋沢栄一(1840年~1931年)は、1916年という彼の生涯の晩年において書かれた主著である『論語と算盤(そろばん)』において、
「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」
と書き記しているように、
論語と算盤、すなわち、道徳と経済の両立を目指すことによって、国民全体が豊かになる形での経済発展のあり方を、その生涯を通じて模索し続けた人物であったと考えられることになります。
そして、
こうした『論語と算盤』の中などにおいて語られている道徳と経済、あるいは、倫理と利益の両立といった考え方は、
単純に考えれば、誠実さや信義に基づいた経営を行い、他者を蹴落としていくような過度な競争や不誠実な契約は行わずに、私利私欲のみに走って暴利を貪り過ぎてはならないといった
一般的な企業倫理や商業道徳のようなものを意味する道徳思想として捉えることができると考えられることになるのですが、
その一方で、
生涯を通して新たな企業とその事業活動の創設に奔走し続け、1901年には時の政府に大蔵大臣としての入閣を求められながらこれを辞退して、一企業家としての生きる道を貫き続きた渋沢栄一の生き方からは、
彼と同時代を生きたドイツの経済学者であったマックス・ヴェーバーの思想にも通じるような、一般的な企業倫理や商業道徳をさらに超えたところにある人生哲学や信念のようなものを読み解いていくことができるとも考えられることになるのです。
マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と渋沢栄一の『論語と算盤』における経済思想の関係
渋沢栄一の少し後の時代に生まれ、少し先に亡くなった、彼と同時代を生きていたドイツの経済学者であったマックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年~1920年)は、その主著である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、
本来は、禁欲的であり、私利私欲に走るような金儲けを全面的に否定する立場にあったはずのプロテスタンティズムにおけるカルヴァンの予定説に基づくキリスト教的な倫理観から、自らの魂の救済を確信するために、
自らの職業に対する召命観に基づいて勤勉に働き続け、そうした隣人愛の実践と勤勉なる労働のために、資本主義の土台となる利潤の肯定と利潤の追求の正当化がなされていくことになったという経済思想が展開されていくことになりますが、
こうしたマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』においては、
キリスト教的な道徳観に基づくプロテスタンティズムの倫理と、個人の利潤追求を原動力とする資本主義の経済システムは、互いに対立する関係にあるものではなく、
一方の思想の本質を根本的に追及し続けることによって、もう一方の思想へと必然的に到達していくことになるという互いに表裏一体の関係にある思想として捉えられていると考えられることになります。
そして、それと同様に、
渋沢栄一の『論語と算盤』において語られている道徳と経済の両立についての思想においても、こうした道徳と経済、あるいは、倫理と利益という二つの理念の両者は、
一方の理念の本質的な追及によって、必然的にもう一方の理念の本質的な構造のあり方が明らかになっていくという表裏一体の関係にある存在として捉えられているとも解釈することができると考えられることになります。
例えば、
経済活動によって得られる富が不正や搾取などによってもたらされたものである場合、そうした富は、短期的には個人の資産の増大や国家の利益に資することがあるとはいえ、
いずれは、不正が暴かれて不平等な関係が改められ、不当に搾取され続けてきた側からの反抗に遭うことによって、かえって長期的には自らの利益や国益を失うことへと通じてしまうことがあり得ると考えられることになります。
そして、そういった意味では、
個人の資産の形成においても、国家の利益の追求においても、その利益が一時的なものに過ぎず、物事が是正されていく際に、すぐに失われていってしまうような無意味な利益となるようなことがないようにするためには、
むしろ、不正や搾取などによってもたらされたものではない、正当で永続的な利益の追求こそが不可欠であり、
そうした個人にとっても国家にとっても永続的な利益をもたらすことになる正当で永続的な経済活動というものは、常に同時に、倫理的な生き方や道徳的な基準にかなった経済活動でなければならないとも考えられることになります。
つまり、
道徳と経済、あるいは、倫理と利益という二つの理念の両者を互いに対立するものではなく、表裏一体の関係にある存在として捉えたうえで、
永続的な富を生み出す経済活動へと勤勉にいそしみ続けることが、必然的に道徳的な生き方へとつながり、
真の意味において道徳的に生きることこそが、究極的には経済的にも人間の生活を豊かにしていくことへもつながっていくという意味での
道徳と経済の根源的な意味での一体化こそが、こうした渋沢栄一の主著である『論語と算盤』において語られている道徳と経済の両立についての思想のより深い真なる意味であり、
渋沢栄一は、そうした道徳と経済についての自らの理念と信念の正しさを自分自身の人生そのものによって体現し続けてきた人物あったとも解釈することができると考えられることになるのです。
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