理性とは何か?①ギリシア語とラテン語におけるロゴスとラティオの具体的な意味
理性とは、一言でいうと、哲学や心理学における認識論の議論などにおいて、人間の心の働きにおける論理的思考や推論的思考のあり方を意味する概念として定義することができると考えられることになるのですが、
こうした日本語において理性と呼ばれている概念は、もともとは、
ギリシア語におけるlogos(ロゴス)、あるいは、ラテン語におけるratio(ラティオ)という単語の訳語にあたる言葉として用いられている概念であると考えられることになります。
それでは、こうした日本語における理性という言葉の原語にあたるラテン語とギリシア語におけるロゴスとラティオという言葉は、
その言葉自体の本来の意味においては、具体的にどのような意味を持つ言葉であったと考えられることになるのでしょうか?
「取り集める」働きとしてのギリシア語のロゴスの核心的な意味
まず、
こうした理性という言葉の原語にあたるロゴスとラティオという二つの言葉のうち、前者にあたるギリシア語におけるロゴス(logos)という言葉は、
ギリシア語においても論理、理性、言葉、概念、原理、理法といった極めて多義的な意味を持つ言葉であると考えられることになるのですが、
こうしたlogos(ロゴス)という言葉自体の語源は、その大本の起源となる言葉にまでさかのぼっていくと、
それは、ギリシア語において「拾い集める」「取り集める」といった意味を持つlegein(レゲイン)という動詞に由来する言葉であると考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうしたギリシア語におけるロゴス(logos)という言葉は、その言葉の大本にある核心的な意味においては、
それ自体としてはバラバラで無秩序な状態にあるように見える様々な事物や表象のあり方を、
論理や法則の力によって一つに取りまとめていくことによって、認識や世界のうちに秩序と統一をもたらしていく働きのあり方のことを意味する言葉として捉えていくことができると考えられることになるのです。
「割合」や「比」といった数学的な概念に基づくラテン語のラティオ
それに対して、
前述した日本語における理性という言葉の原語にあたる二つの言葉のうちの後者にあたるラテン語におけるratio(ラティオ)という言葉は、
ラテン語においては、もともと、数学的な意味における割合や比といった意味を表す言葉であったと考えられることになります。
つまり、そういった意味では、
こうしたラテン語におけるratio(ラティオ)という言葉は、その言葉自体の原義に基づく意味においては、
数学における幾何学的証明などの議論において見られるように、物事を適切な割合や比に区分けして捉えていくことによって筋道立て捉えていくという合理的な認識のあり方のことを意味する言葉として捉えられることになると考えられることになるのです。
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以上のように、
理性という言葉は、その大本の語源となる意味においては、ギリシア語におけるロゴスやラテン語におけるラティオという言葉に起源を持つ言葉であると考えられ、
ギリシア語のロゴスにおいては、バラバラに散らばっている物事を一つに取りまとめていくことによって、認識や世界のうちに秩序と統一をもたらしていく働きのあり方としての理性と呼ばれる概念が持つ核心的な意味が示されているのに対して、
ラテン語のラティオにおいては、そうした秩序と統一をもたらす力としての理性の存在のあり方は、物事を適切な形に区分けして筋道立てて捉えていくという割合や比といった数学的な概念へと通じる理性の働きのあり方が示されていると考えられることになります。
そして、詳しくはまた次回以降、改めて考察していくように、
こうした認識や世界のうちに秩序と統一をもたら力としての理性の働きのあり方は、その後の古代ギリシア哲学からカントの認識論哲学へと至る一連の哲学史の流れの中で、その具体的な意味のあり方が大きく変遷していくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:理性とは何か?②ヘラクレイトスの哲学におけるロゴスとしての理性の存在の捉え方
前回記事:悟性と知性の違いとは?ギリシア語とラテン語における語源とカントの認識論哲学と古代ギリシア哲学における位置づけの違い
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