無神論の立場から見たインテリジェントデザイン説の解釈と地球上の生命の設計者としての地球外知的生命体の存在
前回の記事で書いたように、インテリジェントデザインと呼ばれる人類や生命の存在を、偶然生じたものではなく、偉大なる知性によって意図的に設計されたものとして捉える考え方の大本には、
古代ギリシアにおけるアリストテレス哲学や、中世ヨーロッパにおけるスコラ哲学の時代から続く、神の宇宙論的証明といわれる神学的な議論が深く関わっていると考えられることになるのですが、
その一方で、そうした神学的な議論において論証の対象となっている神のような存在を前提としない無神論の立場においても、こうしたインテリジェントデザインと呼ばれる考え方に基づく主張を行っていくことは可能であると考えられ、
その場合には、今度は、この宇宙における地球外文明や地球外知的生命体の存在の有無といった宇宙論的な議論が大きく関わってくることになると考えられることになります。
インテリジェントデザイン説における「設計者」と伝統的な価値観における「神」との関係
インテリジェントデザイン説においては、生命の誕生や人類といった知的生命体への生命の展開をもたらした力の究極の根拠であり、そうした生命の存在と秩序のあり方の設計者でもあるとされている偉大なる知性とは、
具体的にどのような存在のことを指しているのか?ということが問題となると考えられることになるのですが、
古代から現代にまで続く人類の歴史や宗教における伝統的な価値観にしたがえば、すべてのものを凌駕する全知全能の存在にして、この世界そのものの創造主でもある「神」と呼ばれる絶対的な存在こそが、
そうしたインテリジェントデザインの担い手となった偉大なる知性を持った地球上の生命の設計者として位置づけられることになると考えられることになります。
しかし、その一方で、
インテリジェントデザイン説においては、そうした地球上の生命の設計者である偉大なる知性を持った存在については、
宗教的な表現を除くために、あえてそれが「神」と呼ばれる存在の同義語であるということについての明言はされておらず、
そういった意味では、こうしたインテリジェントデザイン説における偉大なる知性の存在は、神以外の知性的な存在へと置き換えていく形で解釈する余地も十分に残されていると考えられることになります。
インテリジェントデザインの担い手となる地球上の生命の設計者としての地球外知的生命体の存在
それでは具体的に言って、そうしたインテリジェントデザインの担い手となる存在としては、この宇宙の創造主とされる「神」のほかにどのような存在を考えることができるのか?ということについてですが、
この宇宙そのものを創り上げた宇宙を超越する存在あるいは宇宙に外在する存在としての神にそうした役割を求めることができない以上、
宇宙の内部にいる何らかの存在者のうちにそうしたインテリジェントデザインの担い手としての役割が求められることになると考えられることになりますが、
その一方で、この宇宙の内部の存在者とはいっても、地球上に存在する唯一の知的生命体である人類自身は自分自身やその起源となった原始的な生命体の創造者や設計者となることはできないと考えられることになります。
つまり、人類の歴史や宗教などの伝統的な価値観における「神」の存在を否定する無神論の立場に立った場合、
こうしたインテリジェントデザインの担い手となる偉大なる知性を持った存在は、この宇宙の外部の存在者でもなければ、かといって、地球上における存在者のうちにもそうした存在を見いだすことはできないので、
それは必然的に、この宇宙のどこかに存在していながら、地球を含む太陽系の内には存在しない何らかの高度な知性を持った存在、
すなわち、地球外知的生命体、さらに言えば、宇宙人の存在のうちに、こうしたインテリジェントデザインの担い手となる偉大なる知性を持った設計者の存在を見いだすことができると考えられることになるのです。
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次回記事:インテリジェントデザイン説は宇宙人の存在を肯定するのか?否定するのか?有神論と無神論における互いに異なる二つの帰結
前回記事:インテリジェントデザインとは何か?神の宇宙論的証明との関係と生命における秩序の究極の根拠となる設計者としての神の存在
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