フロイトとユングの心理学におけるリビドーの捉え方の違いとは?脱性化と根源的な生命力を意味する普遍的な精神エネルギーとしての新たな定義、リビドーとは何か?④
前回書いたように、フロイトの心理学においては、リビドー(libido)と呼ばれる心理学上の概念は、
人間の心の無意識やエス(イド)と呼ばれる領域の内部において存在するあらゆる精神活動や生命活動の原動力となる根源的な性的欲動としての心的なエネルギーのことを意味する言葉として定義されることになると考えられることになります。
そして、
こうしたリビドーと呼ばれる言葉は、人間の心の深層心理についての探究がフロイトの精神分析学における研究からユングの分析心理学における研究などへと移り変わっていくなかで、
その心理学上の概念としての具体的な意味の捉え方自体が徐々に変化していった概念であるとも捉えることができると考えられることになります。
フロイトとユングの心理学における無意識とリビドーの捉え方の違い
まず、冒頭でも述べたように、
精神分析学と呼ばれるフロイトの心理学においては、リビドーと呼ばれる人間の心の奥底に存在するあらゆる精神活動や生命活動の原動力となる根源的な精神エネルギーのあり方は、
その人の個人としての心の根底に存在する種族保存のための本能によって基礎づけられるようなある種の性的欲動や性衝動といった極めて性的な色彩の強い概念として捉えられていると考えられることになります。
それに対して、
分析心理学と呼ばれるユングの心理学においては、
まずは、こうしたリビドーと呼ばれる心的なエネルギーが存在する心の領域である無意識と呼ばれる心理学の概念についても、フロイトの場合とは少し異なった解釈がなされていくことになり、
ユングの心理学においては、こうした無意識と呼ばれる心理学上の概念は、個人における心の基底部分を成している個人的無意識の範囲を超えて広がるより広大な意味の広がりを持った概念として捉えられ、
そこでは、全人類に共通する普遍的な無意識の領域のことを意味する集合的無意識と呼ばれる領域をも含む存在としてこうした無意識と呼ばれる心の領域の存在自体が新たに捉え直されていくことになります。
そして、このように、
ユングの心理学において無意識といった心の領域のことを表す心理学的概念がより広大な意味の広がりを持った普遍的な概念として捉え直されていくのに伴って、
そうした無意識の領域の内部に存在するリビドーと呼ばれる人間の心の奥底に存在する根源的な心的エネルギーの存在についても、
それは、個人としての人間の心の根底に存在する性的欲動や性衝動といった範疇を超えたより普遍的な心的エネルギーのあり方、
すなわち、人間を含むあらゆる生命体の活動の根底において存在する根源的な生命力や、生命への意志そのもののことを意味する概念として位置づけ直されていくことになっていったと考えられることになるのです。
リビドーの脱性化と根源的な生命力そのもののことを意味する普遍的な精神エネルギーとしての新たな定義
以上のように、
人間の心の深層心理についての探究がフロイトの精神分析学からユングの分析心理学へと移り変わっていく過程においては、
無意識やエス(イド)そしてリビドーといった深層心理学を構成する基礎的な概念についても、それぞれの概念が表す具体的な意味内容にある程度大きな変化が生じていったと考えられることになります。
そして、上述したように、
フロイトによって提唱された心理学理論がユングによって再解釈される過程において、こうしたリビドーと呼ばれる概念についても、
それは、フロイトの心理学における個体としての人間の心の根底に存在する根源的な性的欲動という原始的な本能や衝動のみを原理とする性的な色彩の強い概念から、
人間を含むあらゆる生命体の活動の根底において存在する根源的な生命力そのもののことを意味する脱性化されたより普遍的な精神エネルギーの形へと、
そうした概念の捉え方自体が大きく変化していったと考えられることになるのです。
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次回記事:自我リビドーと対象リビドーの違いとは?①人間の心の発達段階における自己愛から対象愛への転換と両者の適切なバランスがもたらす健全な心の状態
前回記事:リビドーと無意識とエス(イド)の違いとは?階層と機能とエネルギーという三つの観点から捉えられたフロイトの心理学における潜在意識のあり方、リビドーとは何か?③
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