「隗より始めよ」の由来とは?燕の国の郭隗が示した万人が得する人材登用と富国強兵の策
「隗より始めよ」という言葉は、大きな事を成そうとする時には、まず身近な小さな事から始めよ、そこから転じて、物事は言い出した者から始めよ、といった意味を表す言葉ですが、
こうした「隗より始めよ」という言葉のもともとの由来は、紀元前3世紀の古代中国の戦国時代における燕(えん)の国の郭隗(かくかい)という名の政治家の言葉に基づく故事に求められることになります。
そして、
こうしたもともとの古代中国の故事においては、「隗より始めよ」という言葉は、上述したような身近なことからコツコツ積み重ねていくといった意味や、言い出しっぺとなった当人が他の人が嫌がるようなことでも自ら率先してやり始めることで他者の模範となるべきであるといった
この言葉の現代における通常の使われ方とは、少し異なる趣を持った意味で語られているとも考えられることになるのです。
燕の国の郭隗が示した万人が得する人材登用と富国強兵の策
紀元前3世紀の古代中国の戦国時代、戦国の七雄のうちの一国して数え上げられていた燕の国は、都を現在の北京にあたる薊(けい)に置く黄河の北東に位置する国であり、その領土は広く東方の遼東半島にまで及んでいたと考えられるのですが、
その一方で、当時、燕の国は、南方の強国である斉(せい)からの度重なる侵略を受けることによって、国力に衰退のきざしが見えていくことになります。
そして、
こうした燕の国を取り巻く状況を打破するため、当代の燕王であった昭王(しょうおう)は、国力を豊かにし、国家を率いていくのに値する有能な人材を国の内外の各地から広く招くことを試みるために、
ちょうど都の近くに住んでいた郭隗(かくかい)という名の賢者に、こうした有能な人材を燕の国へと集めるために何か良い策はないか?と尋ねることにします。
すると、そうした燕王の問いかけに対して、郭隗は、
「いま王、必ず士をいたさんと欲せば、まず隗より始めよ。いわんや隗より賢なる者、あに千里を遠しとせんや」
(もしも王がぜひとも有能な人材を招き入れたいと望むのならば、まずこの隗から始めるのが良いでしょう。そうすれば、この隗よりも賢い者ならば、必ず千里の道をも遠いとは考えずに遠方からこの国を訪れにやってくるはずです。)
と答えることになります。
そして、
こうした郭隗の申し出を素直に受け入れた燕王は、郭隗のことを高禄で召し抱えたうえで、彼のために宮殿まで築いて厚遇していくことになります。
すると、
郭隗くらいのそこまで世の中に名が広く知れわたっているとは言えないそこそこの人物であっても、これほどまでの手厚い待遇で迎えられるのならば、
自分のような人物でも燕の国にまで出向けば、郭隗を上回るほどの厚遇で迎え入れてもらえることになるかもしれないと希望と野心を抱く有能な人々が、数多く燕の都を訪れることになり、
そうした数多くの有能な人材に恵まれていくことによって、燕の国は再び国力を取り戻し、最盛期を迎えていくことになります。
実際、こうした郭隗の策に応じて燕の国に集まってきたあまたの人材の中には、
例えば、楽毅(がくき)という知略と軍略に優れた名将の名なども含まれていて、
その後の昭王の治世の時代において、燕の国は、こうした楽毅が率いる連合軍の軍勢によって斉の国の都であった臨淄(りんし)にまで一挙に攻め上ってこれを攻め落とすことで、一時は、斉を壊滅寸前の状態にまで追い込み、
その後も楽毅は、斉の国の領内を縦横無尽に駆け巡って攻略を続け、斉の国の七十以上の城を燕の領地へと加えることによって、戦国時代における燕の最大版図を築き上げるという大事業を成し遂げるに至ることになるのです。
個人の利益の追求と社会全体の幸福の実現の一致としての「隗より始めよ」の本当の意味
以上のように、
古代中国の故事においては、燕の国の賢者である郭隗が示した人材登用と富国強兵のための策の中で、こうした「隗より始めよ」という言葉が語られていくことになるのですが、
ここでは、必ずしも、他人が嫌がるようなことを自ら率先して行うことによって模範となるといったことや、単に身近なことから地道にコツコツ始めていくことで大事を成すに至るといったことが述べられているというわけではなく、
上記の故事において郭隗は、むしろ、
この策をはじめに思いついた先駆者である自分がまず先に利益を得ることによって、それを見ていた様々な才能を持った他の人々も燕の国に集まってきて厚遇されることによって利益を得ることになり、
さらには、そうした有能な人材が数多く集まることによって、燕の国全体がさらに豊かになり、万人が得をしていくことになるといった意味で、こうした「隗より始めよ」という言葉を語っていると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
こうした「隗より始めよ」という言葉の由来となる古代中国の故事におけるもともとの意味においては、この言葉は、
他人や社会のためになると同時に、自分自身の利益にもなることを自ら率先して行うことによって、周りの人々を自然により良い方向へと導いていくという
個人の利益の追求が社会全体の幸福の実現とも一致するような理想的な政策や処世術のあり方を示しているとも考えられることになるのです。
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