藺相如が刎頸の交わりの故事で示した処世術のあり方とは?出世に対する廉頗将軍の嫉妬とそれに対する冷静で人情深い対応策
前回書いたように、刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)という言葉の語源は、紀元前3世紀の古代中国において、
知略に優れた将である藺相如(りんしょうじょ)と、武勇に優れた将である廉頗(れんぱ)の二人が、互いに相手の内に自分にはない優れた長所を見いだして認め合うことによって互いに自らの命を相手に預け合う深い信頼関係を結ぶに至ったという趙の国の故事に求めることができると考えられることになります。
そして、
こうした藺相如と廉頗という二人の優れた将の間の人間関係のあり方は、
趙の国のなかでは比較的新参者に近い立場にあった藺相如が、その実力を認められて異例の出世街道を進んで行くことによって、廉頗を含めた周りの古株の重臣たちとの間に軋轢が生じていき、
それに対して、藺相如の側も一種の処世術とも言える身の振り方を見せるといった物語の展開に応じて、大きく変化していったと考えられることになるのです。
二人が刎頸の交わりを結ぶまでの経緯と趙の国を思う藺相如の深い志し
廉頗を含む趙の国の古参の重臣たちは、藺相如が完璧の語源ともなった秦との間の難しい使者の役目を果たす大役を務め、趙の国を存亡の危機から救った当初は、優れた知将の登場を歓迎して、皆でその能力を高く評価していたのですが、
その後、大国である秦との間の外交交渉においてさらに目覚ましい成果を連続して挙げていくことになった藺相如は、
すぐに、廉頗と同じ上卿(しょうけい)の位のなかでも、さらに席次が上の宰相にあたる位へと列せられていくことになります。
そして、
このように、比較的新参者に近い立場にあった藺相如が、異例の抜擢により、序列においても廉頗よりも上席の位を得ていくなかで、
趙の国の古株の重臣たちは、徐々に、そうした藺相如の目覚ましい出世に対して妬みや嫉妬の念を抱くようになっていき、
特に、そうした古参の重臣たちの筆頭の立場にあった武闘派の将でもある廉頗は、
自分はこれまで、文字通り自らの体を張って戦場で命を賭してこの国を守ってきたのに対して、藺相如は、ただ口先だけがうまく、交渉相手を言葉巧みにたぶらかすことができたというだけに過ぎないのに、
そうした口舌の労のみをもって自分よりも上の地位へとのし上がっていくのをこのまま黙って見過ごすというのは自分のプライドが許さない、
今度、あの男と道で出会ったならば、少し脅かして恥でもかかせてやって、本当はどちらがこの国で上に立つべき人間であるのかをはっきり見せつけてやろうと息巻いていくことになります。
そして、こうした廉頗たちの不穏な動きをうわさに聞いた藺相如は、
つとめて廉頗と会うことを避けようとするようになり、公式の場で同席しそうになるときには仮病を使って欠席し、道の端に廉頗の一行の影でも見れば、すぐに車を返して一目散にその場を逃れてしまうような態度を見せていくことになります。
これを見て、廉頗は、やはりあの男は口先だけが達者な小心者に過ぎず、自分の影におびえて逃げ隠れするような卑怯者に過ぎないのだと藺相如のことを嘲り、内心では得意げになっていくことになるのですが、
そうした中、当の藺相如の側の従者たちも、自分たちが仕えている主人の見せる臆病な態度を恥ずかしく思って、そのことを強く問いただし、彼のことを見限ってそのもとを去ってしまおうとする者まで出てくることになるのですが、
すると、藺相如は、そうした従者たちのことを引きとめて、自分が今まで決死の覚悟で交渉を重ね、外交的成功をおさめてきた相手である大国である秦の昭襄王のことを引き合いに出して、
「お前たちは、これまでに私が何度も渡り合ってきた秦王と、いま、その私のことを脅そうとしている廉頗将軍とでは、どちらの方がより恐ろしい相手だと思うのか?」
と逆に問い返していくことになります。
そして、従者たちが、「たとえ武勇に優れた廉頗将軍であるとはいえ、強大な敵国の大王である秦王の恐ろしさには到底およびません」と答えると、
藺相如はさらに、
「その強大な敵国である秦が小国である趙の国をいまだ攻め落とすことができずにいるのは、私と廉頗将軍の両人とが並び立っているからなのだ。いまこの時に、両人が戦えば、それこそ敵国である秦の思うつぼであり、二人とも生き残ることはない。私は、国家の危機を前にして、私情に基づく争いをあえて望むことはしないのだ。」
と語ることになります。
そして、こうした藺相如の言葉を伝え聞いた廉頗は、
つまらない個人的なプライドだけを問題にして、国家の大計という大局に思いをはせることもなく恥ずかしい振る舞いをしていたのはむしろ自分の方であったということに、自ら気づき、
そのような藺相如の深い思いに考えが至ることのなかった自らの不明さを恥じて、一人、藺相如の屋敷を訪れ、彼の前で上着を脱いで肩を出し、鞭を持って、これで自分のことを気が済むまで打ち据えてほしいと許しを請うことになります。
それに対して、藺相如は、
先に述べていた自らの言葉を再び語り直すかのように、
「将軍がいてこその趙の国です」と答えて快くこれを許し、
その思いに心を打たれた廉頗将軍が、
「あなたのためならばこの首を刎ねられても悔いはありません」と誓い、
それに対して、藺相如も、
「私も将軍のためならば、喜んで首を刎ねられましょう」と誓い合ったというのが、
冒頭で述べた藺相如と廉頗という二人の優れた将の間に刎頸の交わりが結ばれるまでの詳細ないきさつであったと考えられることになるのです。
藺相如が刎頸の交わりの故事において示した処世術のあり方とは?
以上のように、
刎頸の交わりと呼ばれる深い信頼関係を互いに結ぶに至った藺相如と廉頗という趙の国の二人の優れた将の間には、はじめから友好的な関係が築かれていたわけではなく、
むしろ、古参の重臣であった廉頗将軍は、新参者の立場にあった藺相如のことを口先がうまいだけで出世した卑怯者と考えて、彼に対して深い嫉妬や妬みの情を抱いていたと考えられることになります。
そして、
そのことを察知した藺相如は、あえて自ら廉頗将軍との間に距離を置くことによって、相手に冷静な判断力を取り戻す時間的猶予を与えたうえで、
さらに、自分の態度を責めようとした従者たちの問いに対して、その気持ちに丁寧に答えていくことを通じて、自らの趙の国に対する真摯な思いを間接的に伝え、
本来は、趙の国のことを誰よりも深く考えている有能な将である廉頗将軍にそうした自分の誤りに自ら気づかせる機会を与えることによって、
二人は、おそらく藺相如がはじめから思い描いていた筋書き通りに、互いの心情を真摯に伝え合った末に、深い信頼関係を結ぶに至ったと考えられることになります。
そして、このように、
こうした刎頸の交わりという古代中国の故事においては、
物事を完璧にやり通して、自らの実績と能力が高く評価された後には、そのことに得意になり有頂天になることによって、周りの人間を見下して孤立を深めてしまうのではなく、
むしろ、そのような順風満帆の時にこそ、いったん自分の周囲を取り巻く状況の方へと目を向け、時には一歩身を引くような姿勢を見せてでも、自分のことを支えてくれることもあれば足元をすくわれることもある周りの人々との信頼関係を固めることが重要であるという
古代中国の一流の政治家にして優れた知将でもあった藺相如の処世術のあり方が示されているとも考えられ、
そこでは、
自ら前に進み出て、自分の能力をはっきりと示して見せるべき時と、一歩引いて、自分の活躍を支えてくれている周りの人々のことを気遣い融和を図るべき時とを見極めて、その時々に応じた適切な行動を選択していくという、
人間社会における知性と人情のバランスの取り方の大切さが示されていると考えられることになるのです。
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