細胞におけるオートファジーと神話におけるウロボロスと饕餮のイメージとの関連性
前回書いたように、飢餓状態などに陥った細胞においては、しばしば、細胞の内部に細胞内消化を行う細胞小器官であるリソソームと融合したオートファゴソームと呼ばれる小胞構造が形成され、
そうしたオートファゴソームの中に細胞内に存在する不要なタンパク質や、ミトコンドリアなどの細胞にとって重要な細胞小器官さえも投げ入れてアミノ酸などへと分解してしまうことによって細胞体の新たな材料源やエネルギー源を得るという
オートファジー(自食作用)と呼ばれる特殊な細胞の働きが見られることになります。
そして、
こうした自分自身の体を食べることによって自らを養うという細胞のオートファジー(自食作用)に類するような生命体のイメージは、
現代生物学においてそうしたミクロの世界における細胞の仕組みが明らかになるはるか昔の古今東西の神話の世界においてもしばしば見いだすことができる人類全体にとっての一つの元型的なイメージであるとも考えられることになります。
古代エジプトやグノーシス主義におけるウロボロスの象徴と細胞におけるオートファジーとの関連性
冒頭で述べた自分で自分を食べるという細胞のオートファジー(自食作用)に類する神話的なイメージの例としては、
例えば、まずは、
古代エジプトやキリスト教のグノーシス主義などにおいて見られるウロボロスと呼ばれる自らの尾を自分自身で飲み込む蛇が円環を描く姿として示された象徴図を挙げることができると考えられることになります。
そして、
こうしたウロボロスの象徴は、宇宙を取り巻く巨大な蛇が自らの尾を飲み込んで破壊していきながら、それを養分として自らの体を再生し続けていくことによって永遠に自らの体を食べ続けてグルグル回っているという姿を示していると考えられ、
それは、直接的には、
宇宙全体が死と生、破壊と再生が一体となった永続的で自己充足的な円運動の内にあるということ、
すなわち、
永劫回帰としての宇宙全体の永続性と無限性のことを示していると考えられることになります。
ちなみに、
こうしたウロボロスと呼ばれる宗教的な意味合いを持った象徴図は、
上述したような一匹の蛇や竜が自分自身の尾を噛んでいる姿だけではなく、互いに相手の尾に噛みつき合う二匹の竜や蛇が織り成す円環の姿として描かれているパターンもあるのですが、
こうしたケースは、細胞のオートファジーの構造にたとえて言うならば、
細胞という一つの小宇宙の内に、互いに相手を食らい合おうとする二つのオートファゴソームが生じているような状態として捉えることができると考えられることになるかもしれません。
古代中国の神話の怪物饕餮とウロボロスにおける神話的イメージの違い
また、その他にも、
こうした細胞における自食作用を連想させる神話上の怪物としては、
例えば、
古代中国の神話の中に出てくる、頭には悪鬼のような曲がった角が生え、虎のような恐ろしい牙の生えた大きな口をした巨大な獣の姿した
饕餮(とうてつ)あるいは犭貪(とん)などと呼ばれる怪物の姿なども挙げることができると考えられることになります。
こうした饕餮という名の中国の怪物は、巨大でどこまでも限りなく貪欲であったため、石でも山でも自分の目につくものは何でもすべて貪り食ってしまい、
最後には、自分自身の体にまで食らいついて食べ尽くしてしまうことによって、その後にはただ闇と虚無だけが残ることとなったといった話が伝えられています。
・・・
以上のように、
細胞におけるオートファジー(自食作用)の働きと同様の構造を持った神話上の生き物の例としては、
古代エジプトやグノーシス主義におけるウロボロスの象徴や、古代中国の神話の中に出てくる怪物である饕餮の姿などが挙げられることになると考えられるのですが、
両者の神話的イメージは、どちらも自らの体を自分自身で食べることによって生きているという点では共通したイメージを持っていると捉えることができるものの、
ウロボロスにおいては、一匹あるいは二匹の蛇または竜が、自分自身あるいは互いの体を飲み込み合うことによって破壊していくと同時に、それを糧として自らの体を再生していくという宇宙全体や生命の円環を描く永続性が示されていると考えられるのに対して、
饕餮においては、角と牙をもった大きな恐ろしい口をした巨大な怪物は、自らの体を最後まで食べ尽くしてしまうことによって、最終的には、暗闇と虚無の内へと滅び去ってしまうことになるというように、
両者の神話的なイメージの間には、互いに大きく異なる意味合いの違いを見いだすことができると考えられることになります。
そして、
こうしたウロボロスと饕餮という二体の神話上の生き物が象徴する具体的なイメージの違いを踏まえたうえで、両者の神話的イメージと細胞におけるオートファジーの仕組みのあり方との関連性について改めて考えていくと、
細胞内におけるオートファジー(自食作用)の働きが一定の適切な範囲内におさまっていて、細胞体の自食と再生のバランスが適切な状態に保たれている場合には、
それは、ウロボロスの円環に見られるような細胞において常に働き続けている永続的な破壊と再生の仕組みを意味することになると考えられることになるのですが、
それに対して、
同じオートファジーの働きが極限まで進行していった場合には、それは今度は、饕餮や犭貪の怪物に見られるような自分自身で自らの体を食い尽くしてしまい、虚無の内へと滅び去っていくような細胞死のあり方のイメージへとつながっていくことになると考えられることになるのです。
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次回記事:ウロボロスの古代ギリシア語における意味とプラトンの『ティマイオス』における宇宙観との関連性
前回記事:オートファジー(自食作用)とは何か?ギリシア語の語源と生物学的な仕組み
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