『攻殻機動隊』における「ゴースト」の意味とは?②ドイツ語における哲学的概念としての「ガイスト」(Geist)との関連性
前回書いたように、『攻殻機動隊』(Ghost in the Shell)において用いられている「ゴースト」と呼ばれる概念は、具体的な意味としては、
無意識から意識へと至る階層構造を持ち、そうした階層構造の内で部分と全体とが複雑に絡まり合った人間の精神構造の総称のことを意味する概念として捉えられることができると考えられることになるのですが、
その一方で、この作品の英語名である“Ghost in the Shell”(ゴースト・イン・ザ・シェル)というタイトルに含まれている英語の“ghost”(ゴースト)という単語は、一義的には、「幽霊」や「亡霊」のことを意味する単語であり、
そこには、作品中の「ゴースト」の概念に見られるような「精神」や「意識」といった意味は基本的には含まれていないという意味のズレが生じていると考えられることになります。
そして、こうした英語における“ghost”と、『攻殻機動隊』における「ゴースト」の概念との間に存在する意味のズレ方の謎は、
ドイツ語における哲学的概念としてのガイスト(Geist)との関連性について考えることによって、明らかになってくると考えられることになるのですが、
その前に、なぜここで唐突に英語ではなくドイツ語の単語が出てくることになるのか?という疑問に答えるために、
まずは、上記の“Ghost in the Shell”というタイトル名の由来となった“The Ghost in the Machine”という題名の本の作者であるアーサー・ケストラーという人物の生い立ちと彼の著述活動の特徴について考えていおくことが必要となります。
ドイツ語圏と英語圏をめぐるアーサー・ケストラーの生涯の軌跡
前回書いたように、『攻殻機動隊』の英語名にして原作の副題にもなっている
“Ghost in the Shell”(ゴースト・イン・ザ・シェル)というタイトルは、
“The Ghost in the Machine”(ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン)という本の題名に由来して付けられたと考えられるのですが、
この著作の作者であるアーサー・ケストラー(Arthur Koestler、1905年~1983年)は、ハンガリー出身のユダヤ人の小説家にして哲学者、ジャーナリストとしても知られる人物であり、
1905年にユダヤ系ハンガリー人の父とオーストリア人の母との間に生まれたアーサーは、ドイツ語話者である母親のもと、ハンガリーのブダペストや、オーストリアのウィーンで幼少期から青年期を過ごすことになります。
その後、彼は、ユダヤ人による祖国建設運動であるシオニズム運動の影響を受けてパレスチナへの入植を試みたのち、
フランスから、ドイツ、さらには、ソ連、スペインと、ヨーロッパ各地を転々としながら報道活動を続けていくことになり、
最終的に、第二次世界大戦の終わる1945年にイギリスに帰化し、その後の半生をイギリスのロンドンでの著作活動へと捧げていくことになります。
こうした彼自身の生涯の軌跡と、実際に彼が1940年頃まで自分の著作をドイツ語で書き記していたことを見ても分かる通り、
彼の人生は、第二次世界大戦が終わった1945年を基点として、その前半生はドイツ語圏を中心に、後半生は英語圏を中心に展開していったと考えられることになります。
つまり、
作品自体は英語によって書き記されている“The Ghost in the Machine”(ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン)の作者であるアーサー・ケストラーは、
英語とドイツ語という二つのヨーロッパ系の言語に精通し、両方の言語を同等に駆使することで自らの思考を自在に表現することができた人物であったと考えられることになるのです。
ドイツ語の哲学的概念としての「ガイスト」とヘーゲルの『精神現象学』
そして、
アーサー・ケストラーの著作である“The Ghost in the Machine”(ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン)という本の題名に含まれている英語の”ghost”(ゴースト)にあたる単語としては、
ドイツ語においては“Geist”(ガイスト)という単語が挙げられることになるのですが、
こうしたドイツ語の“Geist”(ガイスト)という単語は、「幽霊」や「亡霊」を意味する英語の”ghost”とは異なり、一義的には、生きている人間の「精神」や「心」や「魂」のことを意味する言葉として解釈されることになります。
例えば、
19世紀前半のドイツの哲学者であるヘーゲルの主著の一つとして、
“Phnomenologie des Geistes”(フェノメノロギー・デス・ガイステス)
という題名の著作が存在するのですが、この著作の題名の日本語訳は、『幽霊現象の学』などではなく、『精神現象学』となっていてます。
※ちなみに、上記のGeistes(ガイステス)という単語は、ドイツ語のGeist(精神)の複数形第二格(属格)にあたる単語ということになります。
そして、
こうしたヘーゲルの主著である『精神現象学』(Phnomenologie des Geistes)においては、
人間の意識が、客観的対象と主観的意識の対立から、弁証法的展開を通じて一つの全体へと統一され、絶対者としての精神、すなわち、絶対精神へと至る知の過程が明らかにされていくことになるのですが、
つまり、
小説家であると同時に哲学者でもあったアーサー・ケストラーは、こうしたドイツの哲学者であるヘーゲルの『精神現象学』(Phnomenologie des Geistes)に見られるようなドイツ語における哲学的な概念としての「ガイスト」(Geist)のことを念頭に置いたうえで、
自信の英語の著作である“The Ghost in the Machine”(ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン)において「ゴースト」(Ghost)という単語を用いていると考えられることになるのです。
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以上のように、
『攻殻機動隊』において、「幽霊」や「亡霊」といった英語における「ゴースト」(Ghost)の通常の意味とは少し異なった意味で「ゴースト」という概念が用いられる理由については、
この作品の英語名である“Ghost in the Shell“(ゴースト・イン・ザ・シェル)というタイトルの直接の由来となった“The Ghost in the Machine”(ザ・ゴースト・イン・ザ・マシーン)という題名の本の作者であるアーサー・ケストラーという人物の来歴をたどったうえで、
そこに記されている“Ghost “という単語を、ヘーゲルの『精神現象学』に見られるような「精神」あるいは「意識」といった意味で用いられるドイツ語における哲学的な概念としての「ガイスト」(Geist)に由来を持つ概念として捉えることによって、
この作品において「ゴースト」という概念が上記のような特殊な意味で用いられていることのある程度合理的な説明がつくと考えられることになるのです。
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前回記事:『攻殻機動隊』における「ゴースト」の意味とは?①、無意識から意識へと至る階層構造を持った精神体の総称としての「ゴースト」の概念
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