存在論的証明(本体論的証明)とは何か?アンセルムスによる神の存在証明が存在論的(オントロジカル)である理由とは?

このシリーズの初回から前回までの一連の記事では、アンセルムスによる神の存在証明の議論のあり方について詳しく考えてきました。

そこで、今回は、アンセルムスの次の時代のスコラ哲学者であるトマス・アクィナスによる神の存在証明の議論へと入っていく前に、

そもそもこうしたアンセルムスの神の存在証明のあり方が、なぜ存在論的証明本体論的証明)という名で呼ばれるのか?ということについて、

存在論あるいは本体論という言葉自体の意味についても少し掘り下げて考察していくことによって、改めてまとめて考えておきたいと思います。

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存在という概念についての普遍的・根源的な探究を行う存在論と本体論

存在論的証明という哲学用語に含まれている存在論という言葉は、もともと、ドイツ語におけるOntologieオントロギーという言葉の日本語における訳語として用いられている言葉であり、

ドイツ語のOntologieは、英語ではontologyオントロジーギリシア語およびラテン語ではontologia(オントロギア)とそれぞれ表記されることになります。

そして、

こうした存在論オントロジーと呼ばれる学問分野においては、基本的に、

存在という概念自体についての普遍的かつ根源的な考察が行われていくことによって、存在そのものの意味や根拠を明らかにしていくという形而上学的な探究が進められていくことになると考えられることになります。

ちなみに、

冒頭に挙げたもう一つの哲学用語である本体論という言葉についても、それは、「存在論」と並ぶドイツ語のOntologieあるいは英語のontologyの訳語にあたる言葉であり、

本体論という言葉の方が、日本における西洋哲学研究の黎明期にあたる明治時代にさかのぼることができる比較的古い訳語であると考えられることになります。

前述したように、ontology(オントロジー)においては、

個々の存在者の個別的・具体的な存在のあり方ではなく、存在そのもの、すなわち、存在という概念本体についての探究が進められていくことになるので、

そういった意味から、「本体論」という訳語が用いられていたと考えられることになるのです。

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アンセルムスの神の存在証明が存在論的(オントロジカル)である理由

それでは、再び冒頭で述べた問いへと戻って、アンセルムスの神の存在証明の議論が、なぜ、こうした存在論オントロジーに関わる論証の議論であるとされているのか?ということについてですが、

それは、一言でいうと、

神という存在についての概念的な分析がなされることによって、神の実在性の論証が行われているということがその理由として挙げられることになると考えられることになります。

つまり、アンセルムスの神の存在証明においては、

まず、「それよりも大きいもの(偉大なもの)を考えることができないもの」という神の存在の概念的な定義が示されたうえで、

そうした神という特権的な存在概念についての吟味が進めらていくことを通じて、存在という概念そのものについての普遍的な探究が進められていくという意味において、

そうした神の存在証明における議論のあり方は、存在論的ontologicalオントロジカルであると考えられることになるのです。

・・・

そして、この先、詳しく考察していくように、

こうした存在論的(オントロジカル)な神の存在証明のあり方は、今回までの記事で取り上げてきたアンセルムスによる神の存在証明の議論においてだけではなく、

中世スコラ哲学の大成者であるトマス・アクィナスや、近世哲学の父とされるデカルトといった、その後の中世から近世にかけての様々な哲学者や神学者たちによる神の存在証明の議論においても、

神の概念についての普遍的な分析を通じて神の実在を見いだしていこうとする神の存在についての形而上学的な探究のあり方自体は、基本的には踏襲されていくことになると考えられるのです。

・・・

次回記事:神における本質と存在の同一性に基づく神の実在の明証性、トマス・アクィナスによる神の存在証明の議論①

前回記事:神の概念の特権性によって肯定される神の存在論的証明の議論、神の存在論的証明を擁護するアンセルムスの再反論の議論②

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