神の概念の特権性によって肯定される神の存在論的証明の議論、神の存在論的証明を擁護するアンセルムスの再反論の議論②
前回書いたように、神の存在論的証明を擁護するアンセルムスの再反論の議論においては、
まずは、人間における思考のあり方を、「言葉のみを理解する段階」と「対象自体を理解する段階」という二つの段階へと分け、
より深い理解の段階にあたる「対象自体を理解する段階」においては、全知全能なる完全性を備えた「それよりも大きいもの(偉大なもの)を考えることができないもの」という神の概念自体から神の実在を論証する議論が成立すると主張されることになります。
そしてさらに、アンセルムスは、
上記のような「最も大きいもの」、「最も偉大なもの」といった最上級の性質をもつ概念から、概念のみに基づいて対象の実在性を証明するという論証方式は、
神という特殊な概念のみに適用することができる論証のあり方であると主張することによって、神の存在論的証明を肯定する議論を展開していくことになります。
全知全能にして完全なる存在として定義される神の概念の特権性
まず、
「最も大きい」、「最も偉大」、「最も美しい」、「最も強い」、「最も醜い」といった最上級の形容詞によって語ることができる様々な概念のうち、神の概念に用いられている形容詞以外によって記述されている概念、
例えば、「最も美しい鳥」、「最強の武器」、あるいは、「最も醜い毒虫」といった概念については、
それらの概念に対応する存在が、現実に実在していようと、実在していなかろうと、そうしたことと、
こうした概念について思考している人間自身が実在することや、この世界全体が現実に存立することとは、まったく無関係な問題であると考えられることになります。
つまり、通常の場合、
人間の頭の中でイメージされる「最も美しい鳥」、「最強の武器」、「最も醜い毒虫」といった概念に対応する存在が現実の世界の内に実在するかどうかということに、
人間自身の存在や世界全体の成立が依存するということはまったくあり得ないと考えられるということです。
それに対して、
全知全能なる完全性を備えた存在として定義される神の概念については、こうした事情は少し異なったものとなり、
上記のように、神の概念を全知全能なる完全性を備えた存在として定義するとき、そうした概念としての神の完全なる能力の内には、現実において実在する力や能力といったものも含まれるのではないか?という問題が生じることになると考えられることになります。
別な言い方をするならば、少し逆説的にはなりますが、もしも、全知全能にして完全なる存在であるはずの神でさえ、現実において実在する能力はないとするならば、
そうした全知全能なる完全性を備えた神を差し置いて、神よりも能力においても知性においても大きく劣る不完全な存在である人間が現実の世界の内に実在する能力や力を持つなどということはあり得ないと考えることもできます。
つまり、
「最も大きい(偉大な)もの」として定義される全知全能にして完全なる存在である神ですら現実において実在することができないとすれば、
そうした神よりも不完全な存在であり、知性においても能力においても大きく劣る人間も現実の世界の内に実在することが不可能になってしまうという意味において、
神の概念が有する全知全能や完全性といった性質は、神自身の概念だけの問題にとどまらず、そうした概念について思考する人間自身の実在や世界全体の存立にも関わる問題へとつながっていると考えられ、
そのように、人間自身や世界全体の存立が依存しているという意味において、
全知全能なる完全性という性質を備えた神の概念のみが、他の様々な概念に対して別格の特権的な地位を占めていると考えられることになるのです。
・・・
以上のように、
本来は、当然ながら、人間の頭の中の世界と現実の世界とは別々の領域であり、
一方の内にあるものから他方の内にあるもの論証することは、人間の理性の越権行為であると考えられることになるのですが、
アンセルムスの再反論の議論に基づくと、「最も大きい(偉大な)もの」すなわち、全知全能にして完全なる存在として定義される神の概念についてだけは、
そうした概念として定義される神が現実において実在することができないとすると、神の概念について思考している人間自身や世界全体の存立までが揺らいでしまうということ考えられることになります。
つまり、
そうした全知全能なる完全性を備えた存在として定義される神という特権的な概念についてだけは、通常は越権行為として否定されるはずの概念のみに基づいて対象の実在性を論証するという証明のあり方が特権的に成立してしまうという意味において、
「それよりも大きいもの(偉大なもの)を考えることができないもの」という神の概念自体から神の実在を論証するアンセルムスによる神の存在論的証明を肯定する議論を組み立てていくこともできると考えられることになるのです。
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次回記事:存在論的証明(本体論的証明)とは何か?アンセルムスによる神の存在証明が存在論的(オントロジカル)である理由とは?
前回記事:神の存在論的証明を擁護するアンセルムスの再反論の議論①、人間の思考における概念についての二段階の理解のあり方とは?
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