新約聖書における十八の神の定義のまとめ、キリスト教における神の定義⑤、神の定義とは何か?⑦
新約聖書における神の定義のあり方について考察した初回から前回までの記事で考えてきたように、
マタイによる福音書を筆頭とする四福音書や、ローマの信徒への手紙などの書簡集、そして、ヨハネの黙示録などにでてくる神の存在のあり方についての具体的な記述に基づくと、新約聖書における神の存在のあり方は、
①唯一神
②全知全能
③創造主
④善性
⑤完全性
⑥普遍性
⑦永遠性
⑧至高者
⑨救済者
⑩言(ロゴス)
⑪霊(精神的存在)
⑫契約の神
⑬裁きの神
⑭平等なる神
⑮平和の神
⑯光明神
⑰始動因
⑱目的因
という全部で十八の神の定義へと集約することができると考えられることになります。
そして、こうした新約聖書における十八の神の定義を、それぞれの定義を導き出すことができると考えられる新約聖書における実際の記述と併記していく形で改めてまとめていくと、以下のようになります。
新約聖書において記されている十八の神の定義のあり方のまとめ
まず、上記の十八の神の定義のうちの最初の定義として挙げた①唯一神という神の定義について述べられている新約聖書の箇所としては、例えば、「マルコによる福音書」第12章29節に記されている
「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である」
という記述が挙げられることになります。
そして、次の②全知全能という神の定義について述べられている箇所としては、例えば、「ヨハネの黙示録」第1章8節に記されている
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」
という記述が挙げられることになりますが、この記述からは、それと同時に、神が過去・現在・未来という時間を超越して常に存在し続けるという⑦永遠性としての神の定義、
そして、神がすべての存在のアルファ(始まり)であると同時に、オメガ(終わり)、すなわち、目的となるべき終着点でもあるという⑰始動因と⑱目的因という神の定義についても導き出すことができると考えられることになります。
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そして、冒頭では三番目の神の定義として挙げた③創造主という神の定義について述べられている箇所としては、例えば、「ヨハネの黙示録」第14章7節に記されている
「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
という記述が挙げられることになり、この記述においては、キリスト教における神が世界の終末において人々に裁定を下す⑬裁きの神であるという神の定義も示されていると考えられることになります。
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また、四番目の神の定義として挙げた④善性という神の定義について述べられている箇所としては、「マルコによる福音書」第10章18節における
「イエスは言われた。『なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。』」
という記述が挙げられることになり、その次の⑤完全性という定義については、「マタイによる福音書」第5章48節における
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
という記述が、次の⑥普遍性という定義については、「エフェソの信徒への手紙」第4章6節における
「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」
という記述がそれぞれ新約聖書における具体的な記述の例として挙げられることになるのです。
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そして、聖母マリアがイエスを身ごもったことを天使から告げ知らされる受胎告知の場面が描かれている「ルカによる福音書」第1章35~37節における
「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。』」
という記述からは、前述した①全知全能の神として定義としてのほかに、そうしたキリスト教における神が、他に並ぶ者のなきいと高き方、すなわち、⑧至高者であるという神の定義も示されていると考えられることになります。
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そして、次の⑨救済者という神の定義については、例えば、「ルカによる福音書」第1章47節における
「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
という記述がそのまま該当し、その次の⑩言(ロゴス)と⑪霊(精神的存在)という神の定義についても、「ヨハネによる福音書」第1章1節における
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
という記述と、同じ「ヨハネによる福音書」の第4章24節における
「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
という記述が該当することになります。
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また、その次の⑫契約の神という定義については、例えば、「ローマの信徒への手紙」第1章2~3節に記されている
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。」
という記述において示されていると考えられ、⑭平等なる神と⑮平和の神という定義については、「ローマの信徒への手紙」第2章10~11節における
「すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。」
という記述と、「コリントの信徒への手紙一」第14章33節における
「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」
という記述においてそれぞれ示されていると考えられることになります。
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そして、最後に、旧約聖書の冒頭の「光あれ」という神の言葉に対応する⑯光明神として神の姿は、新約聖書においては、例えば、「テモテへの手紙一」第6章15~16節における
「神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。」
という記述のうちに示されていると考えられることになるのです。
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以上のように、
このシリーズの初回において取り上げた新約聖書の22箇所の記述において示されている神の存在のあり方についてまとめていくと、それは今回示した
唯一神・全知全能・創造主・善性・完全性・普遍性・永遠性・至高者・救済者・言(ロゴス)・霊(精神的存在)・契約の神・裁きの神・平等なる神・平和の神・光明神・始動因・目的因
という十八の神の定義へと集約することができると考えられることになります。
そして、キリスト教における神の具体的な存在のあり方は、理念的な意味においては、こうした十八の神の定義に基づいて捉えることができると考えられることになるのです。
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次回記事:旧約聖書と新約聖書に共通する十の神の定義のあり方とは?キリスト教における神の定義⑥、神の定義とは何か?⑧
前回記事:ヨハネの黙示録における四つの神の定義とは?キリスト教における神の定義④、神の定義とは何か?⑥
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