ローマの信徒への手紙などの一連の書簡集における七つの神の定義とは?キリスト教における神の定義③、神の定義とは何か?⑤
前回書いたように、新約聖書の根幹を成す文書であるマタイによる福音書・マルコによる福音書・ルカによる福音書・ヨハネによる福音書という四つの福音書における神の存在のあり方についての記述からは、
善なる神・全知全能・唯一神・至高者・完全者・救済者・言(ロゴス)・霊(精神的存在)という全部で八つの神の定義を導き出すことができると考えられることになります。
そして、こうした四福音書の後に続く、使徒言行録や、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙といった世界各地の教会に集う信徒へと送られた書簡において、上記の四福音書で示されている神の存在のあり方にさらなる定義がつけ加えられていくことによって、
新約聖書において記された記述に基づくキリスト教における神のより詳細な姿がさらに明らかにされていくことになると考えられることになるのです。
ローマの信徒への手紙における契約を結び裁きを下す平等なる神の定義
前回取り上げたマタイによる福音書・マルコによる福音書・ルカによる福音書・ヨハネによる福音書という四つの福音書に続く書である使徒言行録においては、
「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」
(新約聖書「使徒言行録」第17章29節)
という記述がでてきて、ここでは、人間によって造られたものは神ではないという偶像崇拝を否定する神についての否定的な定義が示されることになります。
そして、こうした使徒言行録に続く一連の書簡集の冒頭に位置づけられているローマの信徒への手紙においては、その冒頭部分において以下のような記述がでてきます。
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第1章2~3節)
そして、その後の箇所においても、
「肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と見なされるのです。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第9章8節)
という記述があるように、こうしたローマの信徒への手紙の記述においては、キリスト教における神が人間との間に契約を結び、その約束に従って人々を導き救われる契約の神であるということが示されていると考えられることになります。
また、同じくローマの信徒への手紙の中では、
「この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。神はおのおのの行いに従ってお報いになります。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第2章5~6節)
という記述もでてくるように、神との間の契約を守って正しき道を進む人々を導き救われる神は、自らが定めた契約と掟を破り、悪しき道を歩んできた人々に対しては厳しい処罰を下す裁きの神であるということも語られることになります。
そして、さらに、
「すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第2章10~11節)
「神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。」
(新約聖書「ローマの信徒への手紙」第3章29節)
といった記述もあるように、ローマの信徒への手紙においては、キリスト教における神は、ユダヤ人かギリシア人か、白人か黒人か、人種や民族の違いに関わらず、
自らを信仰する人々を分け隔てることなく平等に愛し救われる平等なる神でもあることが示されていると考えられることになるのです。
コリントの信徒への手紙における平和の神としてのキリスト教の神の定義
そして、ローマの信徒への手紙に次ぐ二番目の書簡として位置づけられているコリントの信徒への手紙においては、
「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」
(新約聖書「コリントの信徒への手紙一」第14章33節)
という記述がでてきますが、コリントの信徒への手紙一におけるこの箇所の記述では、
キリスト教における神が、世界に戦乱による無秩序をもたらす戦いの神ではなく、人々の心に平安をもたらす平和の神であるということがはっきりと示されていると考えられることになります。
エフェソの信徒への手紙における普遍的な存在としての神の定義
また、コリントの信徒への手紙のしばらく後に出てくるエフェソの信徒への手紙においては、
「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」
(新約聖書「エフェソの信徒への手紙」第4章6節)
という記述がでてきますが、この記述は、万物は神の存在の現れであり、すべてのものの内に神が宿っているとする汎神論に通じる思想として解釈することもできる新約聖書における神の定義のなかでも極めて特異的な記述であるとも考えられることになりますが、
いずれにせよ、エフェソの信徒への手紙におけるこの箇所の記述においては、唯一神であると同時に、その力がすべてのものの内にも実際に現れているという普遍的な存在としての神のあり方が示されていると考えられることになります。
テモテへの手紙における永遠不滅の不死なる光としての神の定義
そして、上記のような一連の書簡集の後に位置づけられているテモテへの手紙においては、神の存在のあり方に関する以下のような一連の記述が示されていて、
「永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように。」
(新約聖書「テモテへの手紙一」第1章17節)
「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」
(新約聖書「テモテへの手紙一」第2章5節)
「唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。
(新約聖書「テモテへの手紙一」第6章16節)
というテモテへの手紙一における一連の記述では、
唯一神であるキリスト教の神は、永遠不滅の存在にして、人間の目では決して見ることができない霊的な存在、そして、永遠の光の内に住まう光明神であるという神の存在のあり方が示されていると考えられることになるのです。
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以上のように、こうしたローマの信徒への手紙から、コリントの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、そして、テモテへの手紙までの一連の書簡集における神の存在のあり方についての記述においては、
前回取り上げた四福音書における善なる神・全知全能・唯一神・至高者・完全者・救済者・言(ロゴス)・霊(精神的存在)という八つの神の定義には含まれていない神の存在のあり方として、新たに、
契約の神・裁きの神・平等なる神・平和の神・普遍性・永遠不滅・光明神
という七つの神の定義がさらに付け加えられる形で示されていると考えられることになるのです。
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次回記事:ヨハネの黙示録における四つの神の定義とは?キリスト教における神の定義④、神の定義とは何か?⑥
前回記事:四福音書における神の存在のあり方の八つの定義とは?キリスト教における神の定義②、神の定義とは何か?④
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