カントの認識論におけるア・プリオリな認識と生得観念の違いとは?ア・プリオリとは何か?⑥
前回書いたように、ア・プリオリ(a priori)という言葉は、哲学において一義的には、人間の認識のあり方における論理的な先行性を意味する「先験性」という概念として解釈される一方で、
それは、中世のスコラ哲学などの議論においては、哲学の文脈においても、時間的な先行性を表す「生得性」、さらには、人間の心の内に生まれつき備わった生得観念を意味する概念としても用いられていたと考えられることになります。
そして、こうしたア・プリオリという概念が哲学の議論において、特に重要な意味を担う概念として用いられるようになるのは、18世紀のドイツの哲学者であるカントにはじまるドイツ観念論哲学以降ということになるのですが、
そうしたドイツ観念論哲学の祖にあたるカントの認識論においてア・プリオリという概念は、上記のようなスコラ哲学などにおける生得観念とは明確に異なった概念として捉え直されていくことになるのです。
カントの認識論における「先験性」としてのア・プリオリな認識の形式
超越論哲学あるいは批判哲学とも呼ばれるカントの哲学においては、人間の認識の内には、
経験によって与えられるア・ポステリオリな認識の領域と、経験に先立って与えられるア・プリオリな認識の領域という二つの認識の区分があると主張されることになります。
しかし、
こうしたカントの認識論におけるア・プリオリな認識とは、中世のスコラ哲学やデカルト哲学などにおける神や天使といった経験を超越した存在についての生得観念のことを意味するわけではなく、
それは、人間が様々な現象を自らの経験として認識するときに働く、自分自身の心の内にある認識の枠組みのことを意味する概念として捉えられていくことになります。
例えば、
目の前の道を一匹の猫が右から左へと渡っていくという経験において、
認識の対象となる猫は、「目の前の道」や「右」や「左」といった空間の内に位置づけられる存在として捉えられていて、
さらに、猫が右から左へと移動していったということは、その猫が「さっきは」右手の草むらにいたが、「今は」移動してしまってそこにはいないという時間の内に位置づけられる存在としても捉えられているということを意味することになります。
このように、人間の認識においては、あらゆる経験が時間や空間といった自らの認識形式の内に位置づけられる存在として捉えられることになりますが、
カントの認識論においては、そうした時間と空間といった認識形式や、さらには、量・質・関係・様相といった知性における認識の枠組みの存在があらゆる経験が成立するための前提となっているという意味において、
そうした人間の心の内に経験に先立って存在する先験的な認識形式がア・プリオリな認識のあり方として捉えられていくことになるのです。
カントの認識論におけるア・プリオリな認識と生得観念の違い
それでは、こうしたカントの認識論におけるア・プリオリな認識と中世のスコラ哲学などにおける生得観念には具体的にどのような意味の違いがあると考えられるのか?ということですが、
それについては、まず、一つの目の意味の違いとして、
カントの認識論におけるア・プリオリな認識が具体的な認識内容を持たない純粋な認識の形式として成立しているのに対して、
中世のスコラ哲学などにおける生得観念は、神や天使といった具体的な認識内容やイメージを伴った認識のあり方として成立しているという点が挙げられることになります。
そして、もう一つの意味の違いとしては、
生得観念とは、文字通り、自らの心の内に生まれながらに備わった観念のことを意味する概念であり、それが現実の世界の内におけるあらゆる経験に時間的にも先行する存在として捉えられるのに対して、
カントにおける純粋な認識形式としてのア・プリオリな認識の方には、そこに経験的認識に対する時間的な先行という意味合いは含まれていないという点が挙げられることになります。
時間や空間、量や質といったいかなる認識の枠組みにおいても捉えられることのない単なる内容だけの経験といったものが考えられないのと同様に、何の内容も与えられていない単なる形式だけの認識といった存在も考えることができないというように、
人間の実際の認識においては、認識の形式とその内容である経験とは互いに不可分な一体の関係において成立していて、
そういう意味においては、両者は、むしろ時間的には同時に成立する存在であると考えられることになるのです。
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以上のように、
カントの認識論においては、人間の心の内に経験に先立って存在する先験的な認識形式のあり方が、ア・プリオリな認識として捉えられることになり、
そうしたあらゆる経験が成立するための前提となるア・プリオリな認識の形式と、そうした認識形式によって捉えられる内容である経験との間には、
一方がもう片方が成立するための前提条件となるという意味において論理的な先後関係はあるものの、両者の間には時間的な前後関係は存在せず、両者は基本的には同時に成立する存在であると捉えられることになります。
そして、ドイツ観念論以降の近現代における哲学や認識論の議論においては、
こうしたカントの認識論における先験的な認識形式のあり方が、ア・プリオリという概念がもつ一義的な意味として定着していくことになったと考えられることになるのです。
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初回記事:ア・プリオリとア・ポステリオリのラテン語における意味の違い、ア・プリオリとは何か?①
前回記事:哲学において「ア・プリオリ」を「生得的」と訳すのは間違いなのか?、ア・プリオリとは何か?⑤
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