デカルトにおける生得観念の定義とは?神の存在証明に基づく無限性と完全性の観念の生得説、生得観念とは何か?②
前回書いたように、
人間に生まれながらに備わっている先天的な観念のことを意味する生得観念をめぐる思想の源流には、
古代ギリシアの哲学者であるプラトンのイデア論における想起説の議論の中で語られている人間の知性の内に生まれながらに備わった普遍的な観念としてのイデアの概念があると考えられることになります。
そして、こうしたプラトンにおけるイデアの概念が土台となって、デカルトやライプニッツといった近世ヨーロッパ哲学における生得観念の概念が形成されていくことになるのですが、
それでは、こうしたデカルトやライプニッツといった哲学史上の大まかな分類においては大陸合理論に分類される哲学者たちの思想においては、
それぞれどのような形で生得観念と呼ばれる観念のあり方が提示されていくことになるのでしょうか?
デカルトにおける生得観念の定義と神の存在証明の議論
ルネ・デカルト(René Descartes、1596年~1650年)は、近世哲学の父にして、近代観念論の祖であるともされる17世紀のフランスの哲学者であり、
「我思う、ゆえに、我在り」(cogito ergo sum、コギト・エルゴ・スム)という言葉で知られるように、
思惟する存在としての自己意識の存在を最も確実で明証的な真理であると認めることを哲学の第一原理として定めることによって、新たな観念論哲学の道筋を切り拓いた哲学者であると言えます。
そして、
こうした自己意識の存在を哲学の第一原理とするデカルトの哲学思想においては、観念の生得性に関する議論も、そうした第一原理としての自己意識の存在との関わりから論証が進められていくことになるのですが、
より正確に言うと、デカルトの哲学においては、
自分の意識にとって最も確実で明証的な存在である自己意識の存在と、その内にある様々な観念、そして、そうした諸観念の源泉として必然的に求められる神の存在証明という観点から、
自分自身の意識の内に生まれながらに備わった先天的な観念としての生得観念の存在が主張されていくことになります。
無限性と完全性の源泉である神の観念についての生得説
デカルトによる神の存在証明の議論の中でも、彼の主著である『省察』の中で一番はじめに提示されている第一の神の存在証明の議論では、
まず、最も確実で明証的な存在であるとされた自己意識の内にある様々な観念についての吟味がなされていくことになります。
そして、こうした諸観念についての吟味の中で、
実体、持続、数、延長、形、位置、運動といった物質的存在に関する観念については、それが自己意識の働きと、その想像力の作用によって生み出されたと考えても矛盾は生じないものの、
そうした自己意識の内にある諸観念のなかでも、無限性や完全性といったある種の超越的な観念については、それが自己意識の力のみによって後天的に生み出された観念であるとみなすことはできないとする議論が展開されていくことになります。
人間という存在が有限で不完全なものである以上、そうした有限で不完全な人間自身のいかなる力をもってしても、無限性や完全性といった観念へと到達することはできないと考えられることになるのですが、
そうした観念が現に自分自身の意識の内に存在する以上、無限性や完全性といった崇高なる観念は、
人間自身の有限な精神の力ではなく、より崇高で無限の知性と能力を持った完全な存在である神のような存在に由来する観念であると考えられることになります。
そして、
こうした無限性や完全性といった崇高なる観念、さらにはそうした崇高なる観念の源泉である神自体の観念は、
現実の世界の内における具体的な事物についての感覚や経験によって後天的にもたらされた観念ではない以上、
それは、人間の自己意識の外にある神の存在を源泉として、そこからあらゆる感覚や経験を超越して、それに先立って先天的に人間精神の内に付与されている観念であるという意味において、生得的な観念であると考えられることになるのです。
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以上のように、
17世紀のフランスの哲学者であるデカルトの哲学思想において、生得観念と呼ばれる観念のあり方は、自己意識の内に生まれながらに備わった先天的な観念として捉えられたうえで、
神の存在証明が進められていく中で、無限にして完全なる存在である神を源泉とする無限性と完全性といった観念としての生得観念の存在が明らかにされていくことになります。
そして、
こうした近代観念論の道を切り拓いた哲学者であるデカルトによる神の存在証明の議論を通じて新たな形で主張されることになった生得観念という観念のあり方は、
同時代のフランスの哲学者であるガッサンディや、その少し後の時代のイギリスの哲学者であるロックやヒュームといった経験論的認識論の立場からの批判を受けることによって、さらに洗練された概念へと発展していくことになるのです。
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次回記事:唯物論者ガッサンディによるデカルト批判と生得観念の全面的否定、生得観念とは何か?③
前回記事:生得観念とは何か?①プラトンのイデア論における想起説と生得観念の関係と英語とドイツ語とフランス語における字義上の意味
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