神と悪魔メフィストフェレスの問答②人間の善性をめぐる神と悪魔の論争、『ファウスト』の和訳⑤
前回は、『ファウスト』の序章にあたる「天上の序曲」において、神の言葉による悪魔の定義が語られている箇所について取り上げましたが、
今回は、そうした前回取り上げた箇所の少し前の部分にあたる神と悪魔メフィストフェレスの論争が佳境を迎える場面において、人間の善性についての問答が繰り返されていく箇所について、
前回と同じように、一文一文対訳形式で訳していくなかで、その話の流れを詳しく追ってみたいと思います。
人間の善性をめぐる神と悪魔の論争については、今回取り上げる『ファウスト』の「天上の序曲」における論争の他に、
例えば、旧約聖書の「ヨブ記」における神とサタンの問答なども有名ですが、
「ヨブ記」では、悪魔の試みに遭ってもヨブが神の忠実な僕であり続けることができるのか?という人間の善性をめぐる神とサタンの問答が繰り返されることになります。
そして、ゲーテの『ファウスト』においても、そうした旧約聖書の「ヨブ記」における神とサタンの問答を彷彿とさせるような神と悪魔メフィストフェレスの問答の場面が出てくることになるのです。
「天上の序曲」での人間の善性をめぐる神と悪魔の論争のドイツ語原文
ゲーテ『ファウスト』の序章「天上の序曲」においては、
メフィストフェレスが主人公であるファウストを悪の道へと引き入れ、彼の魂を破滅へと導くことができるのか?という論題をめぐって、
神と悪魔メフィストフェレスの間で人間の善性をめぐる問答が繰り返されていくことになりますが、
その場面における神と悪魔の論争の様子はドイツ語の原文では以下のように記されています。
Mephistopheles:
Was wettet Ihr? den sollt Ihr noch verlieren,
Wenn Ihr mir die Erlaubnis gebt
Ihn meine Straße sacht zu führen!
Der Herr:
Solang er auf der Erde lebt,
So lange sei dir’s nicht verboten,
Es irrt der Mensch so lang er strebt.
Mephistopheles:
Da dank ich Euch; denn mit den Toten
Hab ich mich niemals gern befangen.
Am meisten lieb ich mir die vollen, frischen Wangen.
Für einen Leichnam bin ich nicht zu Haus;
Mir geht es wie der Katze mit der Maus.
Der Herr:
Nun gut, es sei dir überlassen!
Zieh diesen Geist von seinem Urquell ab,
Und führ ihn, kannst du ihn erfassen,
Auf deinem Wege mit herab,
Und steh beschämt, wenn du bekennen musst:
Ein guter Mensch, in seinem dunkeln Drange
Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.
人間の善性をめぐる神と悪魔の論争のドイツ語文と日本語文の対訳
そして、次に、上記のドイツ語原文を、発音とアクセントの目安を併記したうえで、ドイツ語原文と日本語との対訳形式で一行ずつ訳していくと以下のようになります。
※ただし、ドイツ語文で強調して読まれるアクセントの目安については、ドイツ語文の下に記した発音を示すカタカナ表記を太字で記すことによって示すこととし、
日本語の訳文を書いた後の※印の部分でところどころ簡単な文法上の注釈を付記している箇所があります。
また、ドイツ語文と日本語文との対訳関係がより分かりやすくなるように、日本語文の訳文において重要な意味を担う箇所を太字で記したうえで、それに対応するドイツ語文の箇所も太字にする形で記しています。
・・・
Mephistopheles(メフィストフェレス):
Was wettet Ihr? den sollt Ihr noch verlieren,
(ヴァス・ヴェッテン・イーア・デン・ゾルトゥ・イア・ノホ・フェアリーレン)
それで、あなた様はいったい何をお賭けになるんです?
あなたはあの男(ファウスト)を失うことになるのですから。
※ここで使われているIhrは二人称敬称1格の人称代名詞として使われていて「あなたは」を意味する。ちなみにこの用法は17世紀以前に使われていた古形で、現代では代わりにSieが使われていて、Ihrはその所有冠詞の形として使われている。
Wenn Ihr mir die Erlaubnis gebt
(ヴェン・イア・ミア・ディー・エアラオプニス・ゲープトゥ)
もし、あなたが私に許可を与えてくれさえするならば、
※[3格]+die Erlaubnis geben:~に~する許可を与える
Ihn meine Straße sacht zu führen!
(イーン・マイネ・シュトラーセ・ザハトゥ・ツー・フューレン)
彼を私の道へと密やかに導き入れる許可を。
Der Herr(デア・ヘル、神):
So lang er auf der Erde lebt,
(ゾー・ラング・エア・アオフ・デア・エアデ・レープトゥ)
あの者が地に生き続ける限り、
So lange sei dir’s nicht verboten,
(ゾー・ランゲ・ザイ・ディアス・ニヒトゥ・フェアボーテン)
おまえの行いが禁じられることはない。
※dir’sはdir esの短縮形。
Es irrt der Mensch so lang er strebt.
(エス・イルトゥ・デア・メンシュ・ゾー・ラング・エア・シュトレプトゥ)
人間は努力する限り、迷い続けるものなのだから。
Mephistopheles(メフィストフェレス):
Da dank ich Euch; denn mit den Toten
(ダー・ダンク・イヒ・オイヒ・デン・ミットゥ・デン・トーテン)
それなら私はあなた様に感謝しなくては。というのは、
※ここで使われているEuchは古形の二人称敬称人称代名詞Ihrの4格の形。
Hab ich mich niemals gern befangen.
(ハープ・イッヒ・ミヒ・ニーマルス・ゲルン・ベファンゲン)
死人の相手をするのは私が最も嫌うことなので。
※sich mit+[3格]+befangen:~に関わり合う
Am meisten lieb ich mir die vollen, frischen Wangen.
(アム・マイステンス・リープ・イッヒ・ミア・ディー・フォレン・フリッシェン・ヴァンゲン)
私が一番好むのは豊かで生きのいいほっぺたでして、
Für einen Leichnam bin ich nicht zu Haus;
(フュア・アイネン・ライヒナーム・ビン・イッヒ・ニヒトゥ・ツー・ハオス)
代わりに死骸を家に連れ込むなんてことは御免こうむりたいものですから。
Mir geht es wie der Katze mit der Maus.
(ミーア・ゲートゥ・エス・ヴィー・デア・カッツェ・デア・マオス)
つまり、それは私にとって猫が鼠の相手をするようなものなのです。
※es geht+[3格]+~:[3格]の状態が~である
Der Herr(デア・ヘル、神):
Nun gut, es sei dir überlassen!
(ヌン・グートゥ・エス・ザイ・ディア・ユーバーラッセン)
ならばよし。おまえの好きにするがいい。
Zieh diesen Geist von seinem Urquell ab,
(ツィー・ディーセン・ガイストゥ・フォン・ザイネム・ウアクヴェル・アプ)
彼の魂をその本源から引き離し、
※abziehen:取り去る、引き離す
※Urquell:源泉、根源、起源
Und führ ihn, kannst du ihn erfassen,
(ウントゥ・フューレン・イーン・カンストゥ・ドゥー・イーン・エアファッセン)
もし、お前にあの者を捕えることができるとするならば、
Auf deinem Wege mit herab,
(アオフ・ダイネム・ヴェーゲ・ミットゥ・ヘラップ)
お前の道へと引き入れるがよい。
Und steh beschämt, wenn du bekennen musst:
(ウントゥ・シュテー・ベシェームトゥ・ヴェン・ドゥー・ベケネン・ムストゥ)
そして、恥じ入るがいい。おまえがついにこのことを認めざるを得なくなった時には、
Ein guter Mensch, in seinem dunkeln Drange
(アイン・グーター・メンシュ・イン・ザイネム・ドゥンケルン・ドランゲ)
善い人間は、自らの暗い衝動によって突き動かされても、
Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.
(イストゥ・ズィヒ・デス・レヒテン・ヴェーゲス・ヴォール・ベヴストゥ)
その中にあって必ず正しき道を見いだすのだと。
※sich+[2格]+bewusst:~を意識している、~に気づいている
「天上の序曲」での人間の善性をめぐる神と悪魔の論争の全文和訳
そして最後に、上記のドイツ語文と日本語文の対訳の中から、和訳の部分だけを抜き出して、改めて該当箇所の全文和訳を記す形でまとめ直すと以下のようになります。
・・・
メフィストフェレス:
それで、あなた様はいったい何をお賭けになるんです?
あなたはあの男(ファウスト)を失うことになるのですから。
もし、密やかに彼を私の道へと導き入れる許可を与えてくれさえするならば。
神:
あの者が地に生き続ける限り、
おまえの行いが禁じられることはない。
人間は努力する限り、常に迷い続けるものなのだから。
メフィストフェレス:
それなら私はあなた様に感謝しなくては。
死人の相手をするのは私が最も嫌うことなので。
猫が鼠の相手をするように、
私が一番好むのは豊かで生きのいいほっぺたでして、
代わりに死骸を家に連れ込むなんてことは御免こうむりたいものですから。
神:
ならばよし。おまえの好きにするがいい。
もし、お前にあの者を捕えることができるとするならば、
彼の魂をその本源から引き離し、お前の道へと引き入れるがよい。
そして、おまえがついにこのことを認めざるを得なくなった時には、
深く恥じ入るがいい。
善い人間は、たとえ自らの暗い衝動によって突き動かされても、
その中にあって必ず正しき道を見いだすのだと。
・・・
そして、
以上のような「天上の序曲」における神と悪魔メフィストフェレスの問答が、一つの布石となって、
その後の「書斎」の章におけるファウストとメフィストフェレスの問答、そして、両者の魂の契約の場面へと物語がつながっていくと考えられることになるのです。
・・・
次回記事:ファウストと悪魔メフィストフェレスの魂の契約の場面の全文和訳と対訳とドイツ語の発音、『ファウスト』の和訳⑥
前回記事:「天上の序曲」における神と悪魔メフィストフェレスの問答①神の言葉による悪魔の定義、『ファウスト』の和訳④
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