安楽死が人間の自然な死のあり方を取り戻す行為として正当化される論理とは?ドクター・キリコが死の医者となった理由②
前回書いたように、
ドクター・キリコが違法な安楽死を行う死の医者となった原点には、彼が軍医として従軍していた時に経験した戦争体験があると考えられることになります。
そして、キリコはさらに、そうした自分が生業としている安楽死こそが、人間に生きものとしての本来の自然な死のあり方をもたらす行為であると主張することになるのですが、
本来、回復の見込みのない不治の病に苦しむ重病人などの苦痛を取り除くために行われる安楽死という人為的な死のあり方が、
同時に、人間に生きものとしての自然な死のあり方をもたらす行為でもあると主張するキリコの考え方の背景には、具体的にどのような思想があると考えられることになるのでしょうか?
文明の発展によって歪められる人間の命のあり方
ドクター・キリコが行っている安楽死は、それが人の手によって意図的にもたらされる死のあり方である以上、
それは、人間本来の自然な命のあり方を歪める人為的な死のあり方であると考えられることになります。
しかし、例えば、キリコ自身が従軍時代に体験した悲惨な戦争の悲劇の内にもあらわれているように、
文明の発展に応じてもたらされることになる人間の命の歪みは、安楽死だけに限らず、戦争や環境破壊といった様々な形を通じてもたらされることになります。
つまり、
現代における人間の命は、安楽死を行うか否かという選択に関わらず、戦争やテロなどの様々な事件、不慮の事故、さらには環境汚染といった様々な形ですでに不当な形で歪められた生のあり方をしているとも解釈することができると考えられることになるのです。
人間の命のプラスとマイナスの両面の歪みとその解消としての安楽死
そして、
こうした文明の発展によってもたらされる人為的な命の歪みは、戦争や環境汚染といった人間の命を縮め死を近づけるというマイナスの方向だけへと働くわけではなく、
それは、医療技術の進歩などを通じて不治であったはずの病を治したり、重症の状態にある患者を延命するといったプラスの方向へも働いていくことにもなります。
しかし、こうしたプラス方向への働きも、それが何らかの形で人間本来の自然の命のあり方を歪める力ではある以上、必ずしも人間にとって良い影響のみをもたらすものであるとは言えないと考えられることになります。
例えば、一般にスパゲッティ症候群と呼ばれるような全身に気管内チューブや胃瘻カテーテル、尿道カテーテルといったたくさんの管につながれた状態で無理やり生かされ続けることになる不自然な形の延命措置などの例にも見られるように、
医療技術の進歩などによって人間の命を長らえさせる方向へと働くプラスの力も、それが自然の摂理に反するような不自然な形で作用する場合には、生かされている当人に対して苦痛のみをもたらす死よりも悪い状態へとつながってしまうとも考えられることになるのです。
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以上のように、
人間は、戦争や環境破壊によって自分たち自身の命を傷つけ、その一方で、医療技術の進歩によって不自然な形での延命を行うというように、
人間自らの手によってつくりだされた文明の発展は、人間自身の命を損なう方へも、また、それを長らえる方へも働くことによって、プラスとマイナスの両方の意味において人間の命は歪めていると捉えられることになります。
そして、
そうした文明の発展がもたらす様々な人為的な力によってすでに人間の命は不自然な形へと歪められてしまっているのだから、
その歪みを元へと戻し、人間の命を文明によってつくり出された不当な苦しみから解放するために、
苦痛のない安らかな死をもたらすことによって人間本来の自然に近い死のあり方を提供することを目指す安楽死が必要となると考えられることになります。
つまり、
戦争や環境破壊、不自然な延命措置といった様々な形の人為的な力によってすでに歪められてしまっている人間の命のあり方を元へと戻し、より自然な形で訪れる人間らしい死のあり方を取り戻すために、安楽死という人為的な手段を用いることは当然許されるべきことであり、
安楽死という死のあり方が文明のまったく存在しない環境において文字通り自然にもたらされる死のあり方と完全に一致することはないものの、
それが文明社会の内で生きていかざるを得ない現代の人間にとって自然に人間らしく死ぬために残された唯一の次善の策であるというのがドクター・キリコの主張の背景にある安楽死を正当化する論理であると考えられることになるのです。
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次回記事:ドクター・キリコと本間先生と馮二斉の三人に共通する人間の命の捉え方とは?『ブラック・ジャック』における死生観①
前回記事:ドクター・キリコが違法な安楽死を行う死の医者となった理由とは?キリコの原点にある軍医としての戦争体験
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